2011年7月12日 (火)

ある本のすすめ

「もう、ひとりにさせないーわが父の家にはすみか多しー」(奥田知志著 いのちのことば社)を読んでいる。まだ初めの20ページほどしか進んでいないのだがともかく心に突き刺さる言葉の多いよい本である。
実は先日岡山であった集会に主題講演の講師をお願いしたのがこの本の著者奥田さんである。肩書きは日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師なのだが、それにかぶさって特定非営利活動法人北九州ホームレス支援機構理事長、ホームレス支援全国ネットワーク代表などをしている方である。
奥田さんは人に寄り添うことを最も大事に考えている。そしてそれを行おうと努めている。
ホームレスの老人が中学生に襲われたとき、老人と一緒に中学校を訪ねた。その帰り路、寝込みを襲われた老人が、夜中に老人を襲う中学生も自分のいる場所がないのだろう、と語ったという。「親はいても誰からも心配されていないのではないか。帰るところのない奴の気持ち、誰からも心配されない奴の気持ち、俺にはわかるけどな・・・」と。
そして奥田さんがこう言う。「被害者と加害者の両者は、全くちがう存在のように私には映っていた。しかし、このおやじさんの一言は、この両者が『ホームレス』という同じ十字架を背負っていることを明確にしていたのだ。」
もうあまり多くを引用するのを止めよう。苦しむ人、苦しみを抱える人、そんな人を助けたいと考えている人にはぜひ読んでいただきたい本である。きっと新しい世界が広がるだろう。

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2010年8月13日 (金)

孫がいる喜び

昨日から二人で泊まりにでかけてしまった。私の娘の家に行ったのだ。電車を乗り継いで行かねばならないので少々心配だったが無事着いたらしい。
今頃、近くのイオンの大型店舗で買い物を楽しんでいることだろう。
 
夏休み、居間でテレビを見たり、宿題をやったり、時には友達を呼んで騒いでいる子がいないと湖面が凪になったようで物足りない。
テレビを独占し、ソファーに横たわっていてもやはりそこに人がいるというだけで私はなにかもらうものがあったのだろう。
 
「じいちゃん」、「じいちゃん」とお小遣いをせびったり、私の書斎から紙や修正液を持ち出していくこの子たちが年長になって疎遠になったら家庭での私の会話はなくなってしまうのだろうか。

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2007年1月27日 (土)

子どもの遊び

ヒカちゃんが昼過ぎに帰ってきた。しばらくは友達と遊んでいたがそのうち私が相手をしなくてはならなくなった。遊びを順に書くとこんなものだ。
学校ごっこ、ボール投げ、トランプ遊び、お絵かき。
学校ごっこではヒカちゃんが先生になって学校の時間割にしたがって算数や国語の勉強をした。国語でひらがなを書いたがわたしの字はなかなか丸をつけてもらえなかった。ボール投げは糸を巻いたマリを2メートルも離れていないところで投げ合った。負けることが嫌いなヒカちゃんだから強い玉がときおり飛んで来る。用心しなくてはならない。
トランプはダウトをした。ここでも負けず嫌いのヒカちゃんが顔を出した。カードを覗いたり、出しなおしたりしたとき注意すると急に怒り出すのだ。
パパもママの帰りが遅かったので付き合いは夕食まで続いた。その頃になるとわたしも疲れが溜まってきて、勝手なことをするヒカちゃんに腹を立てたりもした。
平静な気持ちで2時間以上子どもと付き合うのは大変なことである。

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2007年1月 9日 (火)

妻の誕生日

07010813pa0_0024  妻の誕生日である。69歳になった。停年を迎え二人だけの生活になってから以前にもまして妻が大事に思えるようになった毎日である。わたしのため、家族のため、膝の痛みや耳鳴りに悩まされながらそれでも朝から晩までよく働く姿には頭が下がる。
  
昨日は成人の日で休日だった。そこで息子が妻の誕生日のお祝いのつもりであろう、食事に一緒に行こうと言い出した。そこは瀟洒な日本蕎麦屋さんだった。茶屋風の店で、庭には木々が多く、埴輪も置かれていた。値段がなかなか立派なのでわたしと妻は700円の鴨蕎麦をいただくことにした。正月の生け花のある床の間付きの部屋は障子を通した光に明るかった。
息子たちと一緒に食事に行くと支払いはいつも妻がする。昨日も妻は一万円を渡そうとした。だが息子は受け取らなかった。
靴を脱いでいたわたしは玄関で立ち上がるとき息子に手を引いて立ち上がらせてもらって店を出た。遥に見える山並みには雪が白く光っていた。

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2007年1月 5日 (金)

書初めとミシン

仕事始めの日の昨日。親たちは出勤して子ども二人が家に残った。朝からこの孫たちに付き合うことにした。
メインの遊びは書初めだった。遊びといってもこれは小学一年生のHちゃんに言えることであって、お姉ちゃんには宿題のひとつである。学校から書初め用の半紙を渡されている。ところがHちゃんは学校ではまだ硬筆練習の段階だから紙など持っていない。棚の上から半紙を下ろし、二枚を糊で貼りあわせて用紙を作ってあげた。
お姉ちゃんの御題は「花たば」である。学校からお手本を持ってきている。書斎を占拠し、床一面に新聞紙を広げて太筆でゆっくり書き始めた。「花」の七画目の書き方や、「ば」の最後の筆遣いを教えてわたしとHちゃんは居間に移ることにした。
Hちゃんは筆など持ったことがない。文鎮を置き、硯に墨汁を入れてあげると自由に思うままにおねえちゃんと同じ字を書き始めた。入筆も終筆もあったものではない。どんどん書いていく。紙がなくなるとまた糊で貼りあわせる。こんなことが間に妻が用意したラーメンを食べることをはさんで三時過ぎまでも続いたのだった。わたしも退職前になってNHK学園で書道の勉強を少ししたので筆を持つことのおもしろさは知っている。だから二人と一緒にわたしも遊べたのだろう。
書斎を覗くとおねえちゃんはなかなかの作品を仕上げていた。
  
Hちゃんが炬燵に入って寝てしまった後、わたしは妻が出してきたミシンで先日カインズホームで買ったズボンの裾のまつり縫いに挑戦した。上糸の掛けかたを手引書にそってまず学んで、針に糸を通し、折り重ねた裾のふちに沿って縫うのである。タオルでテストしてみるとはじめは上糸が強かったらしくすぐに糸が抜けてしまったがやがてうまくいくようになった。わたしは足が使えないからお姉ちゃんに掛け声に合わせてスイッチペダルを踏んでもらってわたしが両手でズボンを針の動きにあわせて動かした。
多少の脱線はあったがなんとかジグザグ縫いができあがった。
子どもの頃姉たちの側で裁縫を見て過ごし、時にはボタン穴のかがりもやったから糸を持つおもしろさを体が覚えているのでこんなことができたのだろう。

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2006年3月10日 (金)

行ってしまった電車

「じいちゃん?乗れなかった・・・」そう言うハルちゃんは泣き声になっていた。乗ろうとした電車に乗れなったようだ。

「大丈夫だよ。乗り遅れましたと駅の人に言って出ておいで。出口のところで待っているからね」わたしは努めて平静を装って携帯電話を切った。

 確かに電車は早く着いていた。ハルちゃんを下ろして駅前を一回りしているうちにもう電車が入ってきたのだ。通過電車かと思っていると停まったらしいのである。だから駅を離れても心配で車を止めていると、そこにハルちゃんからの電話が鳴ったのだ。

 ハルちゃんはすぐに改札口から出てきた。聞いてみると駅の人が「4分したら電車が来るけど」と教えてくれたそうだ。でも心配だから帰ってきたという。

 どうも一本前の電車が遅れていたらしいのである。だからハルちゃんが乗る予定の電車はまだ着いていなかったのだ。そんなこととは知らないからてっきり自分が乗りそこなったと勘違いしたのである。

 ハルちゃんにとっては乗り遅れるなどということは初体験である。どうしたらいいのかわからず心細くなって涙がこみ上げてきたのだろう。

 わたしは車でテニスクラブまで送ることにした。安心したのかハルちゃんはやがて居眠りを始めた。

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2006年3月 7日 (火)

膝を傷める

5時半ごろライアンが鳴いた。和子は寝巻きのまま玄関に行き、ライアンをつれて外に出た。そのとき階段で膝がピシッといったという。ライアンにウンチだけはさせて寝室に戻ってきたがもう歩くこと自体きつそうだった。
前から痛みがあったのだが忙しく出歩き、案外それで持っていた。でも今朝はとうとうたいへんな事態になってしまった。
朝のごみ出しはママに頼んだ。味噌汁とご飯はできていますから、と言って彼女は勤めに出た。長男が出勤する前に「大丈夫?」と様子を見にきた。
いったい今朝の食事の用意はできるのだろうかと私は心配したが、そのころには痛みは和らぎ和子はいつものように準備をしてくれた。
物置の中に買い置きしてある松葉杖を取り出し、和子に使わせることにした。そして、藤岡の病院へ急いだ。
医者は「筋を傷めたのだろう」と湿布薬をくれたそうだ。今は薬局でサポーターを買ってしっかり固定している。
だんだんと体も不具合が多くなってくる。その中でなんとかやりくりするより他ないが、今朝のように困った時に普段なんとも言わない若い者が、声をかけてくれたり、手助けしてくれるのがなんともありがたい。

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