2017年6月 8日 (木)

困難と救い

先日、高校進学が近くの高校で閉ざされた私に救いの道を与えたN高校の想い出を文章に書いた。そして、そこには人を神様からの賜り物として大事にする思想があったとも綴った。
その印刷物を高校時代の友人に送ったところ、彼はその高校の教師とも特別なつながりを持っていた人物なのだが、その彼から喜びの声ともう一つ、私の知らなかった事実が知らされた。それは私の入学は必ずしも教師一同の賛意の内に実現したものではなかったということであった。
もう65年も前の出来事であるからさして驚きの事実ではなかったが、私はどこかにいつも社会知らずの幼稚性があることを再認識したのだった。
と同時に、私は自分の人生においてその節目ごとに拒否と愛とを幾度も経験したことに思い馳せたのだった。
高校入学、大学入学、そして就職、結婚、その時々に必ず障壁が立ちふさがった。しかし、私はそこをくぐり抜けて今こうして人生の終わりに生きている。それは、その大切な時期に決まって私を生かす手が差し伸べられたということである。神の御手がそこにいたどなたかの上に臨んでその働きを助けたに違いないのだ。

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2016年9月20日 (火)

本当のバリアフリー

本庄市の耳鼻科に行ってきた。先日来のめがいが未だ治らないし、見通しも欲しいからだ。
最近開院した小さな医院であった。ベージュの建物がどこか童話の世界に出てくるようであった。
入ろうとすると受付の女性が出てきて、電動を手動に変えてくださいと言う。押して下さるというのである。言われるままに従うと玄関を入ったところで車を前後させて汚れを落とした。
待合室もそう狭くなく、私が最も気にかけていたトイレも車椅子で入れる広さがあった。事前にホームページで調べた時、「バリアフリー」と一言あったがそれが入口のスロープだけでないことに安堵する。
診察台は耳鼻科に特有の高さを持ったものだった。だが、看護師と女性医師が援助してくださり、無事乗ることが出来た。めまいの診断には診察台を寝かせて頭位を変えねばならない。乗ることでこの検査も無事終えた。
薬を処方するという。診察が終わって、薬局へ行こうとしたが外は雨であった。心配していると受付の方が処方箋を持っていって下さるという。こうして全てが終わったので介護タクシーに電話をしていると薬局の方が薬を持って来てくださった。
9時に受付をして10時には全てが終わった。なんと心地よい時間であったことだろう。建物だけにバリアフリーの関心が向きがちである今、バリアフリーの本当の精神に触れた思いがした。

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2015年7月22日 (水)

そのまま寝る

朝晩の着替えは体に大きな負担を課す。気力の出ない状態でのそれは長時間かけてもきつい作業である。
昨夜は初めて着替えずに寝た。掛け布団の必要のない今だからできることだが、体の上にタオルを乗せてそのまま眠りに落ちたのだった。ズボンの前を開け、シャツのボタンを外し、楽な姿勢を整えての後である。
その御蔭で今朝の作業は大幅に短縮。

最近時々思う。もう私のこの世での生活は終わってもいいのではないかと。歪んだ体は姿勢を保持するにはあまりにきつく、日常生活動作は苦のみを伴う。

一方、私は神に生かされているということも知っている。神の世界の中に座をいただいてその一画を任されているとも思う。
マタイによる福音書6:31。「 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」

出来ることは自分で行う、それ以上のことは養われる父に委ねる。それがキリスト者の生き方である、篠崎キリスト教会の牧師のこの言葉に同意して、今日も過す。

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2013年3月 7日 (木)

加重

先日の発熱の後遺症が大きい。もう熱は出ないのだが、もう一度同じ状態になったら困るという怖れが私を捉えて放さない。不必要と思いながら体温計に手が伸びる。
昨夜、寝たのはWBCが終わり、ポルトガルでのなでしこジャパンの試合が終わってからの12時過ぎであった。
だが、目を閉じるとそこに非現実的世界が展開するという事態に遭遇したのだ。点灯していれば当たり前の空間であるが一度瞼を閉じるとそれが変化する。
数年前高熱で入院した時幻視の体験をしたが、それに似た現象である。
昨夜はしかたなしラジオを胸の上において注意をそちらにそらしながら目を閉じているといつも間にか眠りに落ちた。
発熱や痛みという病状自体も避けたいのは当然だが、それを抱えてなんとか日常生活動作をしなくてはならないこと、これは障害を持っているものにはきついことだ。その事への不安が湧くことも自然といえよう。
重さが加わってきている、そんな思いがする。

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2012年11月 7日 (水)

願い叶う

電動車椅子に乗っているのだが、バッテリーのもちが悪くて困る。電気自動車も開発されて性能も良くなっているはずなのに、相変わらず車椅子のバッテリーの寿命は短い。
なにせ一度の充電で私のように屋内の生活中心なのに二日と持たないのだ。二日目になると心配で外出もままならない。
充電は主に就寝中に行う。もしも夜中に地震など何かの非常事態が起こったとしても車椅子は使えない。
以上の案件の解決にはいつもフル充電のバッテリーが用意されていることが必要だ。
先日、ケアマネさんと福祉機器貸与会社の担当者がそろったのでバッテリーをもう一台借りられるよう役場に訴えて欲しいと懇願した。
そしてこれが叶ったのだった。願いは通じた。感謝。

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2012年10月30日 (火)

与えられたいのち

出生前診断に関する記事が時々紙面に載る。今朝も朝日新聞には記者の目から書いた記事が載っていた。
キリスト者の立場から何らかの発言をしなければとその使命を感じつつもなかなか出来ずにいたのだが、先日私たちが障害を持ってイエスの愛に生かされている実際と、障害を持つ私たちも神様のご計画によって誕生させられた者だという主旨の小文を書き上げ、朝日新聞の「私の視点」へ投稿した。
だが、採用されないままだ。
そこで今度は同文を全国キリスト教障害者団体協議会会長名で厚生労働省と日本産婦人科学会へ郵送した。
どんな効果があるかは不明だが一応の義務は果たせたと考えている。
朝日新聞も国民の同意形成が必要だなどと言いながら自らは通り一遍の当たり障りない記事を書くばかりでなく、読者の投稿をどんどん載せたらいい。

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2012年7月13日 (金)

列車情報を熟知しないJR職員

先日、新幹線を利用して旅行に出た。上越新幹線、東海道・山陽新幹線を用いたが、乗り継ぎ駅ではあらかじめお願いしてあったとおり、駅員さんが親切に対応してくれ無事旅は終わった。
 私は車椅子を利用している。障害を持つ者にとって旅は楽しい時でもあるし、反面不安も伴う。それはトイレの不安である。多くの障害を持つ者は旅の前日は水分摂取を控えて旅にそなえる。
 先程、「無事旅は終わった」と書いたが、問題がなかったわけではない。帰り、出発駅で「東京駅からの『Maxたにがわ』は車椅子座席はないようです」と言われた。私は来る時もデッキで我慢しましたからけっこうです、と言って乗り込んだ。東京駅でも駅員さんは車両を調べ、デッキしか乗れませんね。と言って車椅子を押してくれた。
 さて、電車が動き出し、デッキの壁に掲示されている車両案内図を見ると車椅子のマークがある車両があるではないか。同伴の友が調べに行くと、三列座席の一部を二列にして車椅子でも乗れるようになっおり、近くには車椅子対応のトイレが備えられていた。ここに乗れば乗客の乗降ごとにデッキで車椅子を移動したり、トイレの心配もせずにすんだのだった。
 親切なJRの職員諸君、どうかもう少しだけ持ち場の情報を知ってくれたまえ。
                          (朝日新聞声欄不採用原稿)

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2012年6月11日 (月)

茣蓙をベッドに

茣蓙をベッドに敷いた。なかなかいい。これで腕への負担がかなり軽くなりそうだ。
 
足の浮腫み、腕の筋力の衰えでベッドで体を動かすことが辛くなった。シーツの摩擦でより多くの力を必要とするのである。
ふと思いついて昨日茣蓙を買ってきてもらった。イグサの茣蓙ではなく竹が混じっているような硬さのある茣蓙である。夏なのでこれは障害を持つ人だけでなく、他の人が使っても爽やかさを感じられるかもしれないと思いながら寝についた。
いつものことで夜中、オシッコに起きたのだが、布団を退けるにも体を動かすにも楽にすることができたのだった。

電動ベッドの頭の方をアップさせると枕がずり落ちてくるのを我慢すると現在うまいものを買ったと満足している。

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2012年6月 6日 (水)

友よ、ありがとう。

友からメールがあった。励ましの、うれしいメールである。

「痛みを知る主」「旅の決意」読ませていただきました。

痛みは人間にとって最高の苦しみだと思っています。

わたしはリウマチと40年間、それ以上かな?

手、指、体が変形する痛みです。そよ風にも吹かないでくれと祈りました。人が動いただけでも痛い。痛みほどつらいものはありません。

副作用の強いモルヒネを必要とする痛みもあります。

わたしは痛みがなければ天国だと考えて寝ていました。

「それまでして、出かけるの」のといろいろな人から以前には何回も言われました。

わたしたちは、「それまでしても!」出かけなければ出かけられないのです。

これが障がいのあるものの自然の姿です。

ありのままの旅をしましょう。

痛みが無くなるように!無事に広島に行って帰れるように

祈っています。

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2012年4月27日 (金)

疲れと不安のある生活

どうも体調がよくない。経験したことのない高血圧の症状も現れている。いつも110代なのにここのところ130から時には140もあるのだ。
熱はないのに体が火照っている感じも睡眠中にはある。
友人が75歳を境にめっきり体が弱ったとよくぼやいているがうーん、私もその仲間になったのかな~。
疲れていたら休めばいいのに何もしていないわけにはいかないのでついついこうして余計な駄文を綴ったり、教会の記録整理などを始めてしまうのだ。
一人の生活はこんなところでも不便だ。
今日は愚痴だけ。ごめんなさい。

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