2015年4月21日 (火)

困難の中にある救い

エレミヤ書を日課として読んで6ヶ月になる。今日はエレミヤがエジプトで死ぬことが記されている43章。もうじきエレミヤ書も終わるところだ。
読んで来てつくづく思うのはいかに人間が人間の力に頼り、神の言葉を都合よく利用しようとしてきたかということである。
今日の箇所もユダの指導者たちがバビロニアの恐怖から逃れるためにエジプト行きを望み、エレミヤにその望み通りの預言を語って欲しかったにも拘らず、エレミヤがユダに留まるように告げたところ、彼を偽予言者と罵ったことを語っている。
結局この人々はエレミヤの言葉に聞かず、エジプトに行くのだが、攻め寄せたバビロニア軍に滅ぼされてしまう。
それに引き換え、バビロン虜囚にあった人たちは神のいることを信じ、神に希望を託して生きる中で、創世記等の書物を書き、やがてイエスの救いにつながっていったのだ。
神は困難の中に共にいたもうことを知らされたエレミヤ書研究であった。

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2014年5月30日 (金)

信仰の友

在京時に所属していた教会から17年経った今でも週報が送られてくる。お陰で教会の様子がよく分かるし、生き生きと活動している姿に力を与えられる。

その週報に少し前召された姉妹を偲ぶ原稿募集の記事が載っていた。教会報を姉妹中心に組むというのだ。
この姉妹Mさんは私が学生時代にもう教会に居られた方で、「学生服を着ていらっしゃった」といつも私を表現していた親しい方であった。

私は他教会の会員になってしまった今、許されるかどうか遠慮しながら以下の原稿を送った。

Mさんのこと
音羽の大通りから路地に入ったところにあるご自宅にHさんやTさんと何度かおじゃましたことがありました。教会のご婦人方には個性的な方が多くいましたがMさんもそのお一人でした。洒落たお部屋で、Mさんは笑顔いっぱいに、どこか遠慮しながら、それでもチクリチクリと牧会のあり方について自説を説いていたのではなかったかと今懐かしく思い返しています。
そうなのです。Mさんは牧師に直接言えないことを私には時々お話くださいました。私もそれが嬉しくて、書き物をお見せしていたのではないかと思っています。
教会を辞して田舎に帰っても「こころの便り」はfaxなどを利用して送っていたのですが、それへの返信(
20053月付け)が手元にありますのでMさんを偲ぶ縁になればとその一部をここに紹介しましょう。(原文ママ)
「先日はこころの便り、ありがとうございました。今は陽気が不順、仲々春がやってこないですね。でも、もうイースターですからうれしいですね。(中略)一人で考えていると命とか死とかわかりませんね。でも神様がすべてなさって下さることですか安心しています。(中略)今、窓から空を見ましたら明るいのに円いお月様がうっすらとしかも大きく見えているのに気がつきました。まだまだ夕陽が明るいというのにきょうは何となくさびしいのですが自然を見るといやされます。(以後略)」
初めに書かねばならなかったかもしれません。この文面から三原さんは神様への信仰に生かされた人でもあったことがわかります。
また、その前年の11月の手紙には「いろいろの事が多かった年でした。どうか平和な世界になるように祈っております。」とありました。
教会の兄弟姉妹を愛し、神様に従い、ご家族の愛情に生かされたMさん、この姉妹をお与えくださった神様に感謝。

 

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2013年7月31日 (水)

教会に覚えられて

facebookには写真も掲載しましたが、ここではfacebookを見られない方のために記事だけを転載します。

17年前に埼玉・本庄教会に移ってからずっと週報を送ってくださる教会・豊島岡教会から今日もまた今月の週報が届きました。いつものように丁寧な筆致のメッセージが添えられています。
この教会を辞するとき、一ヶ月に一度でもいいから礼拝に出席してください、籍はそのままにしましょう、と言われたのでしたが、こんなに濃密なつながりを今日までいただくなんてありがたいことです。
週報は教会の姿を映す鏡のようなものです。送られてきた週報には子どもの教会、教会祈祷会、北支区連合祈祷会などの集会案内の他、この教会らしく平和祈祷会、許すな、靖国国営化8・15東京集会、北村慈郎牧師の「免職」撤回を求める裁判の結果などが載っていました。
私が建築委員長として関わった会堂のクロスが張り替えられた記事には時の経過を感じますが、この教会に今でもこうして覚えられていることは私にとって大きな慰めです。

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2013年1月 7日 (月)

俳句 年末年始

初春や焼き印のごと木陰伸ぶ
元日の新聞重い歳となり
新年の光躍るやそこそこに
納豆の戻りし四日の朝げかな
蝋梅や朝ごと輝き増しにけり
蝋梅や綿飴のごと咲いてる
葉落としロウバイ輝き増しにけり
ロウバイに朝の光の輝いて
松明けの納豆戻る朝餉かな
 
列島が阿呆になりたる晦日かな
大みそか高倉建と過ごしけり
月毎の俳句の会や年暮れる

大窓に冬日燦燦レストラン

着ぶくれて風呂がますます遠退けり
厨房に未だ婦人いて師走暮れ

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2012年12月 6日 (木)

垂乳根の

先日句会を持った。お一人は入院中で四人の句会だったがいつものようになかなか賑やかである。
兼題が柿だったのでよい句が思い浮かばず、私は
 垂乳根の母の乳房や吊し柿
を出したのだが、なんと無点句。まったく相手にされなかったというわけである。
どうも歳を重ねたご婦人達に披講する句ではなかったらしい。
だが詠み手としては懐かしい母を偲んでの句であったのだ。
湯殿から私を背負って母屋に帰る母は裸で、その乳房は吊し柿のようにシワがあった。年を重ね、苦労の末光さえ帯びた乳房だった。

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2012年11月10日 (土)

紅茶とモディリアーニ

松の木が秋の夕陽を抱いている

冬の朝赤い紅茶とモジリアーニ

蜂二匹冬の陽を浴び舞っている

冬の庭大きな朝陽が横たわる

コーヒーを飲んで秋のひと日を始めけり

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2012年10月31日 (水)

俳句選ばれる

朝日新聞埼玉欄に「埼玉文化」なるコーナーがある。そこの俳壇に先日投句した一句が選ばれた。二回目の投句だったが意外に早く目を留められたものだ。
 路地裏に踏切の音秋の風
これは病院で順番待ちのとき、あまりに長い待ち時間に疲れて玄関を出た時、玄関の向こうの家並みの裏から電車の音が聞こえてきた際の句。
八高線は1時間に一本くらいしか走らない。そんなローカル線なのだが、それだからこそ音が心地よく響いたのだった。
 選者の落合水尾氏はこんな選評を書いて下さった。
「音の景。叙情のふくらみが楽しめる」。
叙情を感じ取って下さったことに感謝。

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2012年10月22日 (月)

近作俳句

 携帯を打つ手の寒さ秋の朝
朝まだき、Sさんから送られてくるメールに返事を打つ。布団から出した手が寒い。
 
 新聞をゆっくり読んで秋の朝
食事の後、一人ゆっくり新聞を読む。そして一日を始める。
 
 プロ野球終わって秋も深まりぬ
まだ日本シリーズが残っているから終わってないのだが、そんな秋の深まりである。
 
 パソコンを閉じて見上げる月おぼろ
パソコンばかり見つめていると夕方ふと仰ぎ見る月が霞んでいる。
 
 刷毛使い描いた絵の如秋の畑
油絵の筆致には筆ばかりでなく、ナイフや刷毛を使ったものもある。秋の田畑はちょうど刷毛で描いたように色づいている。
 秋の田やバリカンの跡整然と
稲刈りの後の田圃。コンバインが通った跡。
 
 己が身の世話で一日秋日暮れ
時々綴る日記からご想像いただけるだろう。

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2012年8月27日 (月)

近作俳句

またけふも暑くなるてふ車椅子
休みつつ身支度するや夏の朝
兄よりも父よりも長く生き夏疲れ 空澄んで吾は地上をはい回る 垣の下猫すり抜けて茗荷あり
ラジオ前正座の記憶終戦忌
赤子泣く診察室や梅雨哀し どの句にも人の顔あり夏句会 夏カーテン開けっ放して娘と朝げ

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2012年7月20日 (金)

句会中止

今月は私の体調を考慮して句会は中止となった。が、せっかくお寄せいただいた句を来月回しにするのは忍びない。そこでいつもどおり印刷し仲間に渡すことにした。皆さんは元気でときどき集まってはおしゃべりをするという。これを材料に句会をやってくれるかもしれない。その時のために私なりの選評を書いた。

自転車を飛ばす女児ら青田道
 青田と女の子の姿が重なって面白い。

風はこぶ風鈴の音待合室
 小さな医院の待合室。開けた窓から爽やかな風が入り、風鈴を鳴らしている。

捩花少女はこのごろ反抗期
 捻花と反抗期が対応していて面白い。

父の忌にはらから老けし梅雨半ば
 父を偲んで集った兄妹も皆老いている。梅雨の日の法事の共感できるワンシーン。

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