2009年12月20日 (日)

クリスマスの祈り

 慈しみ深い天の父なる神様。
 今朝、私たちを礼拝堂にお招きくださりこころから感謝いたします。あなたに連なる多くの兄弟姉妹、子供たちとこうして一緒に席を並べ、相集ってこれから礼拝にあづかれる幸いを感謝します。
 今日は降誕祭の喜びを共にいただく日です。
 あなたは大切なみどりごを私たちにお与えくださいました。馬小屋という貧しさの中に、孤独の中に、暗い夜の中に弱い形をとって御一人子をお与えくださいました。
 この姿をとって御子をくださったことは私たちをあなたが愛してくださった印です。
 どうぞみどり子を感謝して受け入れる信仰をお与えください。
 そして、みどりごこそわれらの主、と心から告白して受け入れることが出来ますように。
 主が来られ、希望の光がこの世に灯されました。不信と戦争の世に愛の人、平和の君が生まれました。主は私たちの救い主です。
 私たちは私たちに与えられた御一人子、主イエス・キリストに感謝してクリスマスの礼拝をお捧げいたします。
 神様、私たちの兄弟姉妹の中にはこの喜びの礼拝に集えない方々がいます。どうぞそこにあなたが臨み、そのお一人お一人の傍らに立って、御手を伸べてその方々の祈りを聞き上げてください、力と慰めをお与えください。
 最後にあなたのメッセージを取り次ぐ牧師のために祈ります。どうぞ聖なる力をお与えください。
 午後のクリスマス感謝の集いにもあなたの導きがありますように。
 これらの感謝と願いをあなたの御子主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げいたします。 アーメン

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2009年12月17日 (木)

小さなクリスマス

教会の友が集って我が家で小さなクリスマス礼拝を捧げた。
黙祷 挨拶 讃美 交祷 聖書 讃美 メッセージ(クリスマスの意味) 祈り 讃美 派遣の言葉 挨拶
以上の順序で礼拝は進んだのだが、ここでは全員で朗読したメッセージを掲げよう。

「クリスマスは、聖書が伝えてくれたうれしい知らせです。神さまは私たちを深く愛してくださって、ふしぎな仕方で私たちのために、すばらしいことをしてくださいました。

 それは、救い主キリストがえらい学者や強い王さまや英雄としてではなく、ひとりの赤ちゃんとして、暗く寒い夜に貧しい家畜小屋で生まれてくださった、ということです。どんなに小さい子どもでも、悲しみや苦しみの中にある人も、みんなが少しもこわがらないで、喜んで、安心して信じることが出来るためでした。

 クリスマスにあらわされた、このような神さまの心は、イエスさまの言葉とみわざ、十字架の死と復活のおとずれの中で、ますますはっきりしてきます。どんなに暗い気持ちで悲しんでいる人も、さみしい人も、憎み争っている人も、もうだいじょうぶなのです。このキリストが共にいて、明るく暖かく清くしてくださいます。

 クリスマスは、世界に希望と勇気と正義と平和を取り戻してくださるという、神さまからの特別な、確かな約束です。私たちはこんなに愛されていることを知ったのですから、喜び祝い、感謝の礼拝をささげ、また人々にもこのうれしい知らせを宣べ伝えるのです」。
 
今朝の恵みに感謝。アーメン

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2009年12月16日 (水)

聞く者の傍らに

説教者と礼拝参加者との関係を問いたくてインターネットで検索を続けている。

説教者が取り次ぐ福音は会堂にいる一人に出来事となって臨むとよく言われるのだが、それぞれ異なった一人ひとりが求める神の言葉、福音はおのずから異なる。その一人ひとりに着目した神学、聖書論があるのかどうか、そこが知りたいのである。

あれこれ調べているうちに「説教塾」なるものがあることが分かり、そこで加藤常昭牧師の説教に出会った。私の当面の目的とは異なるが氏の説教の中に以下の言葉を見つけたのでここに紹介したい。これは「シュタイガー先生」の言葉の引用した箇所である。

「われわれ説教者は苦しむ者の傍らに立たなければならない。傍らに立って何を言うのか。 それは、『私にもどうしようもない。しかし、あなたはその苦しみを神の前に差し出したらいい。訴えたらいい。神をなじりたかったらば、なじったらいい。それが祈りだ』」。

この言葉は私が今年のキ障協総会で行った証を支えてくださっていると感じた故にありがたいのである。
 参考 http://homepage3.nifty.com/bridge2/369.html

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2009年11月29日 (日)

教会 わが家

4週ぶりに礼拝に出席した。なんと懐かしい礼拝だったことだろう。会堂の空気がしっとりとまとわりつき、暖かだった。いつも礼拝に参加していると分からなくなってしまうのだが、こうしてしばらくぶりに席に着くと、我が家に帰った落ち着いた心持になって会堂を受け止めることができる。
今日は献金の祈りを捧げる奉仕当番に当たっていたが、祈りも「作る」ことなく主に捧げることが出来た。
それを思うと入院中のTGさんが気の毒である。詳細な経過を聞くことが出来ないので声掛けもできない。妻の治療経過を思うといろいろ参考になるであろう情報を提供したいがまだ控えておこう。

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2009年11月24日 (火)

夕べの祈り

主なる神様
今日1日のお守りに感謝します。
病院への往復、CT検査、長く続いた微熱、これらの不安から解き放たれ今落ち着いた心でベッドの上で祈りをあなた向けて捧げられる幸いを与えられました。
ありがとうございました。
今も悩み、苦しみの中にある友になぐさめをお与えください。
主御名によって祈ります。

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2009年10月25日 (日)

礼拝の祈り

 御在天の父なる神様。過ぐる一週間の恵みとお守りをこころから感謝いたします。私たちはあなたの恵みと守りの元に種々なる迷い、悩みを捨て去って日々を送ってまいりました。そしてこうしてあなたの定めたこの聖日、再び教会に招かれました。
 どうぞあなたに感謝してこの礼拝をお捧げ出来ますように、私たちの体とこころとを調えてください。
 神様、私たち一人ひとりはあなたによって選ばれ、あなたの子供として迎えられています。私たちはあなたに祈るとき「天にまします我らの父よ」と祈ります。「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈ります。
 そのようにあなたに召されていながら私たちは兄弟のことを、姉妹のことを十分に知りません。自分の弱さ、悩みを友に対して開いていません。
 兄弟や姉妹の困難にも悲しみにも、共に課題を負い、涙を流せない私であることを知っています。
 また、あなたに群れとして召されていながら、この本庄の地で人々のために働いていないことを知っています。

 神様、教会は今、あなたに捧げる礼拝、兄弟姉妹としての交わり、地域への伝道などについて共に考える時をもっています。どうぞ私たちを導き、誠なる兄弟姉妹とし、「我ら」と声をそろえてあなたに祈る教会にならせてください。
 その兄弟姉妹の中には今朝もまたこの礼拝に集えない方々がいます。そのお一人お一人の祈りをどうぞ聞き上げてください、力と慰めをおあたえください。
 最後にあなたの御心を取り次ぐ飯野牧師のために祈ります。どうぞ聖霊をお与えください。
 これらの願い感謝を再来なさる主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げいたします。 アーメン

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2009年10月22日 (木)

主にある交わり

遠方から友が訪ねてくださった。高速道路から電話し、降りてからまたその近くの花屋さんに道を尋ね、親切にも花屋さんが電話口に出て我が家を確認しての到着であった。
  
この友Kさんは長い間主に仕え、小さな伝道所を開き、終わりには大きな教会にまで伝道を広げたのだが、肝臓治療のインターフェロンがきつく、牧師の職を引退した方である。
今日来てくださるというので私は健康状態をまず確認したいと願ったのだった。
  
Kさんは予定より二時間近く遅く来られた。以前と同じで、顔つやは黒ずんで、頬は骨ばっていたが元気そうだった。聞くと、二週間に一度のインターフェロン注射をしているが、そしてその二三日は体がきついが、肝臓のデータも落ち着いているとのこと。
私はそれを聞き安堵した。
 
二時間ほど二人はお互いの近況を語り合った。一人娘のYさんが精神的な重荷を抱えて仕事を代えつつ歩んでいること、そして先日婚約者ができたこと。私に会うことを長い間切望していてくださったこと。一緒に過ごしたT教会で私の子供たちが妻に世話を受けている様子を鮮明に覚えていること。どこか恥じらいとも照れとも言えない表情を見せながら彼は誠実にこれらを語った。
 
別れ際、Kさんは今日の交わりを心から感謝して祈りを捧げた。妻を覚えて祈るとき、途中涙声になったときには私の中にもこみ上げるものがあった。
最後、こちらから手を出して握手して、お礼を言ったのだが、温かく柔らかな手は私の手を強く握り返すことをしなかった。Kさんの控えめな性格はここにも見えている、そう感じながら私はいつまでもその手を放さなかった。
 

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2009年10月18日 (日)

今日の説教から

「16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイによる福音書から)
 
ペトロという呼び名はあざなだという。本名はシモン・バルヨナ。この弟子はイエスが十字架に付けられた時にイエスの元から逃げ去った。その前にはイエスが捕らえられたときに関わるのを嫌って、その男は知らない、と大祭司の前で否定している。
そんな弱さを持った人だったが、イエスはこのペトロの上に教会を建てるとおっしゃた。
人は皆弱いものだ。弱くていい。弱さを持ったままでイエスの召命に与る。私たちはそれに感謝し、主の御用に当たろう。

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2009年10月14日 (水)

天に召されるときのために

教会では召天の際の葬儀等についてあらかじめ会員の意向を届けておいてもらうことにしている。そこには愛唱聖句、愛唱賛美歌の欄があるのはもちろん、教会で葬儀を行うことを希望するか、共同納骨堂の利用を望んでいるか等々の届出項目が設定されている。
私もこの確認書をいただいていたのだが、長い間かばんの中にいれたままで未記入だった。だが、妻が先立ち、先日は中学時代の親友が召されてようやく私もほっておくことができなくなり、先日すべての項目を埋めたのだった。
  
書き終えたものを教会に提出する前にコピーを取った。そして長男に見せ、寝室の一番下の引き出しに入れておくからね、と告げた。そのとき、おかあちゃんのときの参列者名簿なども一緒に入れてある旨も伝えた。
妻が召されたときは私が指揮を執ったからいいが私の時には子供たちが戸惑うだろう、そんなことのないように準備し、伝えることは伝えておかねばならない。
教会に提出したのを機に召天時の連絡先一覧を今朝は作成し、これも引き出しに収めた。その一覧の下段にこう付け加えた。
「私は多くの方々に支えられ、交わりをいただき生きてきました。それゆえ、その多くの方々に感謝してお別れの時を持っていただきたいと望んでいます。
上記の方々以外にもお気づきの方がいましたら連絡してください。」
  
私の記入した愛唱賛美歌に一節にはこうある。
「思えば過ぎにし すべての日々 苦しみ悩みも またみ恵み」

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2009年10月 4日 (日)

祈り

一人の姉妹が天に召された。長い病の後の召天だった。
今日は私が献金感謝の祈りを捧げる日。そのとき、私はこう祈った。
  
「御在天の主なる神様。今朝も兄弟姉妹と礼拝に招かれあなたの御言葉に与れましたことに感謝します。あなたはわたしたちをいつも食事の席に招いておられることを先生の言葉を通して知らされありがとうございます。わたしたちは自分の都合を優先し、あなたの招きを断り続けています。どうぞあなたの元に帰り、豊かに食事の席に連ならせてください。
  
今日はまた聖餐に連なることができました。わたしたちのために命を惜しまず捨てられた主の恵みをパンとブドウ液をいただきながら新たに知ることができ感謝します。
  
神様、今朝は悲しい知らせに接しました。長い間苦しみのうちに過ごされたY姉妹の痛みが天上においては喜びの日々に変えられますように祈ります。いつの日かの礼拝で教えられましたように、姉妹はちょうどマラソン走者がゴールに走りこむように、この世の日々を走り終えて、あなたの懐に凱旋したことを信じます。そして多くの先達たちが拍手をしてY姉妹を迎えたこともわたしたちは信仰によって知っています。
神様、姉妹を長きにわたって見守ったご家族のご苦労を恵みによって癒してください。
  
今捧げます献金を教会のためにお用い下さり、よい交わりのある教会が与えられますように。これらの祈りと感謝、主の御名によって祈り上げます。」

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