ことばの力
このことばを聞いただけで年格好も分かるし、姿さえ見える気がする。また、今までの生活振りや、今の心情がダイレクトに迫ってくる。
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以前はなにかと連絡を取り合い、交わりを交わしていた旧友が一人、二人と疎遠になり最近はその数がめっきり少なくなってしまった。
競馬をこよなく愛したMさんが亡くなって、その兄を一緒に支えていたO女史がその理由も告げずに私の交際範囲から出ていったのが最初だった。
信仰の友Hさんは控えめな方だから自分からは発信してくることはあまりなかったが、それでも私が個人通信を送るとなにかと返事を返したものだった。私よりも年長の兄だから体もきつくなっていることは十分に予想されるのだが、それにしても寂しい限りである。
職場で共に働き、定年後も最近まで電話で互いの生活ぶりを語り合った数人もその声に接する機会が減っている。
そんな中、大学時代の友Wは体の不調を書き留めた私の個人通信を自分の体に併せて丁寧に読んで、長々とメールを書いてきてくれる。また、職場でなにかと世話になったSさんは秋には我が家においでくださると言うし、H女史はご自分の聖書の学びの様子や豊かな生活振りを手紙にして送ってきてくれている。
疎遠になった友の健康を願いながら、交わりのある友を大切にしつつ日々を送ることに満足を覚えることでよしとしよう。
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昼はラーメン。マルちゃん正麺を簡単鍋で3分ほど茹でて、あらかじめ溶かしてある汁に入れるだけでできる。とは言っても右手が利かなくなっているから、鍋の取っ手を持つのも、丼に入れるのも左である。万一、膝の上にでもこぼしたら大やけど。そこは慎重にやらねばならない。
乾燥具材を入れて彩りを豊かにしたこともあったが、簡単が第一。素面で十分である。
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ある刺激が与えられてそれに反応した時、心地よい報酬がもらえると、生物はその刺激に自然と同じ反応を返していくようになる。すなわち条件付けが成立するのだ。
これから紹介する話は実はこんな固い説明が必要な話ではない。
私は肝臓の機能が落ちているので毎食後スティックに入った薬を服用している。もう5年は超えているだろう。スティックを力のなくなった指でなんとか開き、上を向いて飲み込む動作を何年もやっているというわけである。
さて、先日何か飲みたくなった。インスタントコーヒー、緑茶、リンゴジュース、どれもいやだ。ふとコーヒースティックが目についた。よし、今まで飲んだことがないこれにしようと決めた。早速、ハサミを使ってスティックを破った。その時、私の手はその中身をカップに持っていかなかったのだった。なんと驚くことに口へと運んだのだ。条件付けが起こったのである。
慌てて洗面所に走り、吐き出し、何度も口を洗浄したが、洗面台は赤茶けた色を簡単には消してくれなかった。
笑えない出来事の顛末である。
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書斎の机の上に花が飾られた。赤い花弁が鮮やかなベコニアであろうか。これは誕生日の祝に駆けつけてくれた三男が持ってきた花の一鉢である。昨夜長男がかごに入った鉢を分けてその一つを書斎に持ってきたのである。お陰でニュートラルな書斎の雰囲気が少し潤ったような気がする。
長男は黙っていろいろと気を遣ってくれている。例えば、勤めに出かける前、それまで4チャンネルだったテレビを1チャンネルに変えていくのだ。その上、字幕の設定まですることさえある。8時から始まるテレビ小説を私が毎日観ていることをしっているし、その中で交わされる会話が聞き取りにくい耳に私が最近なってきたことも分かってのことである。
妻がいなくなって生活の中で行うこまごまとしたことに他人から気遣ってもらう機会が少なくなっている現在、こうした小さな配慮は嬉しいものである。
ついでにもう一つの配慮を挙げてみる。それは私の朝の楽しみの一つである新聞読みへの気遣いである。私は小一時間食事の後で新聞を読むのだが、その新聞は私が居間に行く前にポストから長男夫婦のどちらかが取ってきてテーブルに載せておいてくれる。その時、長男だった場合は折込チラシを抜き取って新聞だけを置いてくれるのである。小さな心遣いであるが私はそれにホッと心が和んでその後の時を過すことが出来るのである。
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時々、体のあちこちがつる。しばらくの我慢であるがその時の痛みはきつい。次の動作に入ることが出来ない程だ。
独りの生活だから誰にも聞いてもらえないが、私は「痛い、痛い」と声を上げる。「あー痛い、痛い」と。この声を聞くのは自分しかいないが、それでも言わないより痛みの軽減にはよい。
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