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2017年6月 8日 (木)

困難と救い

先日、高校進学が近くの高校で閉ざされた私に救いの道を与えたN高校の想い出を文章に書いた。そして、そこには人を神様からの賜り物として大事にする思想があったとも綴った。
その印刷物を高校時代の友人に送ったところ、彼はその高校の教師とも特別なつながりを持っていた人物なのだが、その彼から喜びの声ともう一つ、私の知らなかった事実が知らされた。それは私の入学は必ずしも教師一同の賛意の内に実現したものではなかったということであった。
もう65年も前の出来事であるからさして驚きの事実ではなかったが、私はどこかにいつも社会知らずの幼稚性があることを再認識したのだった。
と同時に、私は自分の人生においてその節目ごとに拒否と愛とを幾度も経験したことに思い馳せたのだった。
高校入学、大学入学、そして就職、結婚、その時々に必ず障壁が立ちふさがった。しかし、私はそこをくぐり抜けて今こうして人生の終わりに生きている。それは、その大切な時期に決まって私を生かす手が差し伸べられたということである。神の御手がそこにいたどなたかの上に臨んでその働きを助けたに違いないのだ。

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