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2016年11月23日 (水)

イエスの苦しみ

今、私は「イエスとその弟子」(ピーター・ミルワード著)を読んでいる。定価120円の本だ。いつ買ったのかは分からないが、いい本はいつ読んでもいい。

本書によるとイエスが最後の晩餐を摂って、ゲッセマネの園に向かったのはエルサレムから身の危険を避けていつも留まっていたベタニアに帰る道筋に園が在ったからだという。その道筋がおもしろい。エルサレム市内の晩餐の部屋→神殿の門→ケドロンの小川→オリーブ山→ゲッセマネ、そうなるのだそうだ。だから、ベタニアに到着する前に、ゲッセマネの苦しみを負うことになったというわけである。

そこで何があったか。ユダの裏切りである。しかし、園に入る時には、イエスはその前兆の悲しみの重荷を他の弟子からも負わされていた。それはオリーブ山で必死に祈るイエスの悲しみを理解せず居眠りをする弟子、迫ってくるペテロの否認、弟子たちの逃亡、人々に捨てられること、さらには天の神の黙視であった。

イエスはこういう状況の中で捕らえられたのだ。一人ユダばかりが悪者なのではないのだ。この弟子たちの姿は私たちのそれでもある。

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