« 10月9日 日曜日 | トップページ | ギビング アンド レシービング »

2016年10月14日 (金)

通信教育の数学教師

半藤一利の「漱石先生ぞな、もし」を暇にあかして読んでいると時々おかしなことに出合う。その一つ。
漱石が松山中学に赴任して直ぐ、弘中又一という人物が同中学校にやって来た。数学の先生だ。
ところが翌年には二人揃って松山を去り、漱石は熊本の第五中学校へ、弘中は熊谷中学校へと別れたのだそうだ。
ここまでは私にとってさほど興味あることではない。
その次である。熊谷へ来た弘中は坊っちゃんのモデルになった人物と言われるだけあって熊谷でもひとのやらない行動をあれこれやらかしたようである。それを丹念に調べ上げた人がいると半藤一利が書いている。宮崎利秀という熊谷高校の数学教師である。
彼は弘中の住居はおろか家族構成、弘中の生涯まで丹念に追ったとのこと。
ここまで読んだとき、私はふとこの宮崎利秀という人に会っているのではないかという気がしてきた。半藤一利がこの先生は昭和26年から熊谷高校で数学教師として教壇に立ったと記しているからである。
私は昭和28年の春、隣町の高校から入学を断られ、やむなく熊谷高校の通信教育を受けることになった。そして、松葉杖にすがって、月に一度スクーリングのため熊谷高校へ汽車とバスを乗り継いで通ったのだった。当時の熊谷高校は畠中にあって、測候所の前のバス停から長い道を歩かねばならなかった。
通信教育部は小さな木造の教室だったが、そこで先生方と交わり、勉強の仕方などをお教わっていた。
数学教師は背が高く、顔の長い、着ているものから言っても一風変わった人に見えた。偏屈というわけではない。接すれば良い人なのである。確か国語の教師は高木某と言ったと思う。
全く根拠はないのだが私には半藤一利が又一の話を聞いたという宮崎なる人物があの数学の先生に思われてならないのだ。
今こうして人生の終わりを無事に過ごしているこの私の生涯の源流で出会ったかもしれない苔むした石にも似た人、それを呼び覚まされた私は心地よい心境にある。

|

« 10月9日 日曜日 | トップページ | ギビング アンド レシービング »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136400/64347133

この記事へのトラックバック一覧です: 通信教育の数学教師:

« 10月9日 日曜日 | トップページ | ギビング アンド レシービング »