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2016年10月

2016年10月25日 (火)

ギビング アンド レシービング

S氏は私より3歳年配の方である。先日、同氏は多くの方たちに手紙を書いて、今までの厚誼を感謝し、これからは従来のようにお交わりをすることができません、と知らせたのだった。それは病気の奥様の世話と己の体の弱まりが主な理由だという。年賀状もこれからは失礼することにします、とも付け加えておられた。
この手紙に接した方たちは同氏の誠実なお人柄を偲び、たくさんの良いお付き合いをいただいた事実を挙げて感謝の手紙を送ったという。
私個人においてもこの事実は変わりなく、S氏には長い間、負いきれない程のご援助をいただいた。公には学校行事において、また学級経営において、その支えは私の教師生活を維持していくのに欠かせないものだった。
個人的にはC型肝炎の治療で勤務からの帰り道、医院に寄って注射を打つ時、雨の中を道路脇に停めた車から傘をさしかけて私を守り、治療が終わって宿舎にたどり着くまで面倒を看ていただいたことなど数えたらきりがない。
このS氏と先程電話で話したのだが、金曜日は奥様がデイケアに一日行っているので、時間を作って在任中担任した生徒Y子さんを施設に訪ねたそうである。
Y子さんは身体的にも知的にも重度の障害を持つ人である。だが、そのこころには天性の優しさが宿り、私も彼女の指導をしているときにはたくさんの癒しをいただいていた。
先日訪ねたとき、もう今は会話をすることが不可能になってしまったがS氏に触れる喜びはその体の動きからわかったとのことだ。
帰宅するとY子さんのお母さんから喜びのお礼の電話があったともS氏はおっしゃっていた。
S氏の訪問というY子さんへの愛情のギビング(与えること)とY子さんが体で示してくれた応答とお母さんの感謝をS氏がレシーブすること(受け取ること)はこうして同時に生まれて、一つの世界となって広がるものなのだろう。

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2016年10月14日 (金)

通信教育の数学教師

半藤一利の「漱石先生ぞな、もし」を暇にあかして読んでいると時々おかしなことに出合う。その一つ。
漱石が松山中学に赴任して直ぐ、弘中又一という人物が同中学校にやって来た。数学の先生だ。
ところが翌年には二人揃って松山を去り、漱石は熊本の第五中学校へ、弘中は熊谷中学校へと別れたのだそうだ。
ここまでは私にとってさほど興味あることではない。
その次である。熊谷へ来た弘中は坊っちゃんのモデルになった人物と言われるだけあって熊谷でもひとのやらない行動をあれこれやらかしたようである。それを丹念に調べ上げた人がいると半藤一利が書いている。宮崎利秀という熊谷高校の数学教師である。
彼は弘中の住居はおろか家族構成、弘中の生涯まで丹念に追ったとのこと。
ここまで読んだとき、私はふとこの宮崎利秀という人に会っているのではないかという気がしてきた。半藤一利がこの先生は昭和26年から熊谷高校で数学教師として教壇に立ったと記しているからである。
私は昭和28年の春、隣町の高校から入学を断られ、やむなく熊谷高校の通信教育を受けることになった。そして、松葉杖にすがって、月に一度スクーリングのため熊谷高校へ汽車とバスを乗り継いで通ったのだった。当時の熊谷高校は畠中にあって、測候所の前のバス停から長い道を歩かねばならなかった。
通信教育部は小さな木造の教室だったが、そこで先生方と交わり、勉強の仕方などをお教わっていた。
数学教師は背が高く、顔の長い、着ているものから言っても一風変わった人に見えた。偏屈というわけではない。接すれば良い人なのである。確か国語の教師は高木某と言ったと思う。
全く根拠はないのだが私には半藤一利が又一の話を聞いたという宮崎なる人物があの数学の先生に思われてならないのだ。
今こうして人生の終わりを無事に過ごしているこの私の生涯の源流で出会ったかもしれない苔むした石にも似た人、それを呼び覚まされた私は心地よい心境にある。

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2016年10月10日 (月)

10月9日 日曜日

9時半にはいつものように牧師先生の車が玄関前に停まって、私は痛む肩をかばいながら先生にベルトを引っ張ってもらってそれに乗り込んだ。
礼拝を守り、その後牧師招聘委員会に出席し、また先生に送っていただき留守になっていた家に帰った。息子夫婦は子どものサッカーの応援で仙台に行ってしまったからだ。用意してあったおにぎりを食べ、その後競馬を少しやっているうちに夕方が近づいて来た。
そうして時間が流れる中私のこころの中には浮き沈みするなにかがあった。枯葉のようでもあり、ちぎれ雲のようにも感じられる。
そうこうしていると娘が越谷からやって来た。今夜の留守番をし、私の食事の世話をするためである。
夕食の時、カレンダーを見ながら、今日は9日だよね。今朝からなんだかわからないが忘れ物がある気がするんだよね、と会話の中につぶやいてみた。
「結婚記念日ではないの」、娘はすかさずそう言った。
ああ、そうであった。私は忘れていたのだ。
その日も日曜日の10月9日だった。学校の運動会の日、私は教会で結婚式を挙げたのだった。
12日には訪問歯科の治療がある、14日は耳鼻科に行く、20日は教会の地区集会が我が家で開かれる、そうしたことが心を占領し、私は青春の日の想い出を過去のものとして忘れ去ろうとしている。
砂を噛むような思いがゆっくりと私の中を通り過ぎた。

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