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2016年9月

2016年9月24日 (土)

世界に平和を 祈り

全てのことを御心に留め、愛のうちに導きたもう私たちの主なる神様、あなたの聖名を賛美いたします。

自己中心に日々を生きる私たちをあなたは今朝もこうしてあなたの御腕の中に招いてくださいました。本当にありがとうございます。 

世の指導者たちは世界の各地に集まって、紛争をなくし、滅びゆく自然環境を守り、また、国を追われて脱出しよとしている人達を助け、核の脅威から世界を救おうと会議を重ねています。

しかし、指導者の心は自国の力を誇り、利益を追求し、他国を支配しようとする色に染まったままです。

どうぞ、神様、あなたが会議に臨んで彼らの心を変え、あなたに従う者の心を優先し、地球に平和をもたらせてください。危険なボートに乗って国を追われる人達を救ってください。 

本庄教会にも愛と平和を与えてください。礼拝を感謝し、交わりを喜ぶ教会としてください。

あなたの御心を語り伝えるために奉仕する牧者を守り、導いてください。

さまざまなことがら故にここにおられない兄弟姉妹をお支えください。御こころをならば私たちと一緒にあなたを賛美するときをいつかの日にかお与えください。

 この祈りを私たちの贖い主イエス・キリストのお名前を通して御前に捧げます。  アーメン

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2016年9月21日 (水)

千恵ちゃんからのメール

かつての「教え子」千恵ちゃんからメールが届いた。もう65歳ほどだろう。年上の夫を送って一人で子育てをし、その子どもたちにも皆家を去られ、一人元気に頑張ってきた千恵ちゃん。時々は商店街の親しい店から煎餅を私に郵送して来た彼女である。
近年は家事が思うようにできなくなって障害者支援制度を使ってヘルパーさんと親しく日々を送っていたのだが、介護保険制度に移行してからはなにかと問題に直面している。
メールはいつかは消えてしまうのでここに彼女の力強く生きる姿を残しておくためにメールを貼り付けておくことにする。

このごろ、パソコンに向かうことが少なくなりました。
介護保険になり早くも1か月が過ぎましたが、まだ慣れません。慣れようとも思いません。肌に合わないのでしょうね。
何でもソーシャルワーカーに言わないとヘルパーは動いてくれません。私のような気の短い者には頭にくることばかりです。
朝に入ってくれるヘルパーは全部、違う人なんですよ。私は6時には起きて自分ができることはなるべく自分で。という小さい時からの癖でやりこなすと、あるヘルパーさんは褒めまくりで、ご自分は何もせず、おしゃべりに来たような感じで帰って行かれました。かと思うとコップからこぼれ落ちる雫まで丁寧に拭いて行かれるヘルパーさんもいらしゃいます。
長年ヘルパーさんにきてもらってますが、これほど困惑したことはありませんね。

話は変わりますが、この間ね、肺のCTを撮って結果を聞きに行ったのですが、ガンが増えてました。小さいものがフヨフヨあったのですが、まだ小さいので心配は要らない。とのことです。
大丈夫ですよ、先生より先に逝ってたまりますか??こんな美人の千恵ちゃん。死んでたまりませんよ~。
頑張りますよ、死ぬまで、千恵は千恵らしくね。
死ぬことは全然怖くはないの。今は死にたくないの、神様に「もう少しだけ生かしておいてください。」って、お願いしてます。

もう遅くなりました。千恵ちゃん、おねむです。おやすみなさい。

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2016年9月20日 (火)

本当のバリアフリー

本庄市の耳鼻科に行ってきた。先日来のめがいが未だ治らないし、見通しも欲しいからだ。
最近開院した小さな医院であった。ベージュの建物がどこか童話の世界に出てくるようであった。
入ろうとすると受付の女性が出てきて、電動を手動に変えてくださいと言う。押して下さるというのである。言われるままに従うと玄関を入ったところで車を前後させて汚れを落とした。
待合室もそう狭くなく、私が最も気にかけていたトイレも車椅子で入れる広さがあった。事前にホームページで調べた時、「バリアフリー」と一言あったがそれが入口のスロープだけでないことに安堵する。
診察台は耳鼻科に特有の高さを持ったものだった。だが、看護師と女性医師が援助してくださり、無事乗ることが出来た。めまいの診断には診察台を寝かせて頭位を変えねばならない。乗ることでこの検査も無事終えた。
薬を処方するという。診察が終わって、薬局へ行こうとしたが外は雨であった。心配していると受付の方が処方箋を持っていって下さるという。こうして全てが終わったので介護タクシーに電話をしていると薬局の方が薬を持って来てくださった。
9時に受付をして10時には全てが終わった。なんと心地よい時間であったことだろう。建物だけにバリアフリーの関心が向きがちである今、バリアフリーの本当の精神に触れた思いがした。

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2016年9月18日 (日)

主からの光に

今日も礼拝を休みました。体に力が入らないからです。

礼拝の時間に祈りを捧げ、そして先日購入した木村利人著「戦争・平和・いのちを考える」を読みました。

第2章は「『幸せなら手をたたこう』の誕生」でした。木村先生はこの歌の歌詞の作者だったのです。

先生によれば、歌詞の誕生は聖書の言葉がヒントになったとのことです。それは

旧約聖書詩篇47:2 「すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。」

新約聖書エフェソの信徒への手紙5章:8「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」

です。エフェソの信徒への手紙はリビングバイブではこう訳されています。

「あなたの心は以前は暗やみにおおわれていましたが、今は主からの光にあふれています。そのことを態度でしめしなさい。」

礼拝に欠席した私に神様は力の言葉を掛けてくださいました。

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2016年9月14日 (水)

わしはナスじゃ

わしはこのナスじゃ。隣にいたレタスやブロッコリー、ピーマン達はみな、居なくなってしもうた。神様がお定めになった時が来たのじゃ。
わしはまだ風をいただき、雨にも恵まれてこうして実をつけておる。だが、葉にはあちこち穴があいておるし、支えの棒に助けられて立っているしまつじゃ。やがて、時が来たらレタスやブDsc_0008_1_2ロッコリー達が待つ国に行くことになる。それまで神様からいただいた命を生きることにしよう。
そういえばわしの主人も昨日はめまいがして一日ベッドだった。こんな話をするためにやめておけばいいのにパソコンに向かっている。まだ、本調子ではないらしく、起き上がるにも頭を左右に動かすにもゆっくりとやっておる。
みんなも大事に過ごしなされ

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2016年9月 8日 (木)

会話のない店

携帯電話のバッテリーが直ぐ失くなってしまう状態なのでそろそろ機種変更をしたいとかねがね思っていた。だが、お店まで行く方法を思うと決心が鈍り、不便を感じつつも我慢の日々であった。
今日は訪問歯科の治療を受ける日。これは順調に終わった。治療を受ける日は利尿剤も使わない。トイレも安定している。天気も午後になって青空が出てきた。牧師辞任に関する教区宛の書類造りだけが昼過ぎまでかかったがこれも教区との連絡の後完成した。
なんだかみんな済んでしまいこころが軽いようだ。そこで決心した。よし、auショップに行こう。
 
いつもの介護タクシーを頼む。そしてH市の東の端まで町並みを眺めながら行った。
ここまではよかった。
店に入っても「いらっしゃい」と店員が迎えるわけでもない。車いすでカウンターに近づくと、介護タクシーの運転手が店の中まで入ってきてくれて、「ここでカードを取るんですよ。」と言い病院の受付機のような画面で機種変更を登録し、受付番号の記された待合カードを取ってくれた。
しばらく待ってワイシャツを手首まで伸ばした囁くように話す男性が「マーカーのあるところだけ記入をお願いします」と言ってペンと質問紙を置いて行った。小さな文字が紙いっぱいに並ぶペーパーである。丁度病院で診察を受ける前に似た光景である。
ようやく記入し終えて彼に渡し、その後はただひたすら待つこと1時間。なにやらボックスごとに仕切られたカウンターでは見事に化粧をした女性店員が客の応対をしていた。
私の順番が来て、料金体系など訳の分からない説明を受けて、ようやく望みのスマホ型携帯電話を受け取ったのは入店してから1時間半後だったろう。
時代の先端を行く機械を手に入れるにはかくも非人間的な時間に適応しないといけないのかもしれないとすっかり疲れきって帰途についた。

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