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2016年4月

2016年4月26日 (火)

ナスの花

足の浮腫み対策として弾性包帯を使っている。朝、ベッドから出る前にきつめに踝から順にふくらはぎへと巻いていくのである。
今朝も時間をかけて左足を巻き終わった。右をと思って包帯を探したが、昨夜用意したはずなのにサイドテーブルの上に見えない。しかたない。右は後にしようその後ズボンを履く。

ここで間違えた。左足からズボンに足を入れてしまったのだ。左足は膝関節が曲げやすいから、いつもは曲がらない右足を先に入れ、それから左へとことを運ぶ。
しかたない。やり直しである。重い足をかすかに持ち上げてようやくズボンを履き終わったのは20分後だったろうか。

居間に入ると今朝も快晴の空。庭のナス、トマト等の苗木も元気に育っている。ナスには紫の花まで付いているではないか。こせこせと不自由や痛みに囚われている私がちっぽけに思われてきた。

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2016年4月20日 (水)

日常のこと 救いのこと

朝日が一杯に差し込む居間からまだひんやりする書斎に移動してきた。テレビではMLBの中継の真っ最中だったのだが、それを見続けてのんびりすることができない性分なのだからしかたない。

聖書を読む前に熊本出身のかつての同僚S氏に故郷の様子を聞いてみたくなって電話した。さほどの被害もなかったとのことでその話題はおしまいになった。それよりも職場で共に過ごした仲間が老齢化にともなって弱さを抱えていることに多くの時間を使って話をしてしまった。
Uさんが膀胱がんである由。今日の電話の相手も透析を受けている方ではあるが、そして沢山の児童文学書を世に出している方であるが、Uさんも昨年暮までにはなにがしら上梓するようなことをおっしゃっていたのに病でそれが実現しなかったらしい。
私からはO女史が最近は長く電話で近況を話すことをできなくなっていることを伝えた。とは言え、悲壮感を持って会話を続けたわけではない。S氏にはその体のどこかにユーモアが秘められていて、エヘッへと語尾には他人を安堵させるものが付いているのである。
そんな訳で一時嬉しい時間を過すことが出来たのだった。

さて、これからイザヤ書を読むことにする。今日のところはイスラエルの民がバビロン捕囚を終えてユダの地に帰還する時代である。一万人が捕囚の目に合い、今は四万人になっている民がバビロン帝国が滅びたためにユダに帰るのである。本来なら異教の地での苦しみから解放された喜びを持って勇んで帰国の途につくはずである。ところが、聖書はそう伝えていない。捕囚の地とはいえ、50年の歳月が過ぎるとそこで財産が生じ、生活が確立される。それを捨て去って帰ることが幸せなのかとのためらい、いや、抵抗が民の中に生じたのだ。
神の支配する国に帰る、神の声に従う、これを今畑がありますから、家族が結婚しますから、牛の世話をしなければなりませんから、と言って断る、それと同様な心が捕囚の民に生まれていたのである。

もう11時になった。こうした民を主が忍耐と愛を持って導く姿を、日常の私と重ねつつイザヤ書を開く。

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2016年4月18日 (月)

新しい年度を迎えて 祈り

復活の主、イエス・キリストの父なる神様。あなたの聖名を賛美いたします。

あなたの御手によって私たちは今朝もこうして教会に集うことができました。本当にありがとうございます。

御子主イエスは先日墓の中から、死に打ち勝ち、復活なさいました。私たちすべての者の苦しみを負ってくださり、不信仰を引き受けてくださり、苦しみ抜いて私たちを贖ってくださいました。

どうぞこの恵を無駄にすることがありませんように。

今や、恵みの時、今こそ、救いの日。わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています、と使徒パウロは言います。

私たちは小さな教会の群ですが、そして、力の弱い者ですが、どうぞあなたの導きによって与えられている喜び、恵を証しする者とならせてください。

午後に行われる教会総会がそのために用いられるようにと祈ります。

 神様、今九州では大きな地震が頻発し、多くの人が不安と苦しみの中にあります。どうぞ、この地に一時も早く平安を回復してください。

その中にあって、私たちはあなたの御言葉を聞くことができる幸いを感謝します。どうぞ、ここにおられない友、悩みの中にいる友、病の床にある友にあなたが臨んで、その心に、体に御言葉を届けて下さい。

 御言葉を取り次ぐ先生に力をお与えください。

 この祈りを私たちの贖い主イエス・キリストのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン

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2016年4月14日 (木)

ついつい

大学時代の友M君が逝って17日には一回目の記念日を迎える。卒業してからはそう滅多に会うこともなかったが、彼の所属していた教会の牧師が私のよく知る方だったのでここ何年かのM君の日常を伺うことが出来て幸いであった。
多くの仲間が教職に就いたのに彼だけは企業への進路を選んだ。しかもその会社は会社更生法を受けているところ。彼の努力の結果とは言えまいが会社は見事に立ち直り、彼はそこで取締役で定年を迎えたのだった。
旧知の牧師との出会いはM君49歳だったとのこと。牧師はM君の葬儀説教の最後にこう語っている。「『喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く』、この言葉を愛して、出会う人々と互いに思いを馳せ合って生涯を歩まれたMさんに、私たちは本当に豊かな贈り物を貰ってきたのであります。Mさんに心から感謝し、私たちもお互いに思いを馳せ合って残された地上のいのちを主と共に歩んでいきたいと願うのであります」。
M君の紹介を簡単にして今朝の私の様子を書こうとしたのだが、少し前置きが長過ぎた。要はこのM君の記念日を前にして、私は大学時代の写真をやっと探しだし、それをハガキに印刷し、奥様に一年を偲んで挨拶状を書いたのである。そして、ご飯前にポストまで車いすを走らせてきてた。
ようやく本題に入ろう。昼飯の話だ。最近はセブンミールの配達にも飽きた。配達時間を気にしながら作業をするのも落ち着かない。そこで、前夜の残り物をもう一度レンジでチンして食べることが多くなった。今日はスパゲッティとハンバーグ。冷蔵庫から冷凍してある御飯を取り出し、2分温め、それを主食にする。何度も入れ替えをしながらレンジを使うのも痛い腕では面倒なことだがやむを得ない。
三度に分けて流しまで運ぶ後片付けを終えてほっとする。そして、テーブルの上を見るとお菓子入れの中に緑色をした「ジャンボよもぎ餅」があるではないか!私が用意した昼食の食材はみな中途半端なものだったがこの餅は完璧な姿で鎮座している。これをいただかない法はない。なるべくカロリーを押えようと言い聞かせつつ、中間に採るよりも食後直ぐの方が良かろうと自らに言い訳をして、ついつい今しがた食してしまったというお粗末。



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