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2016年3月

2016年3月30日 (水)

復活の喜び

信仰の友、Oさんからメールが届いた。リュウマチで若き日の10年間、天井の節穴を数えて過ごしたという友だ。少し前まで岩手県K市で福祉活動の大きな役割を担っていたOさん。あの3・11大地震のときその事務所で電動車いすに乗ったままで寝起きをせざるを得なかった経験もされている。
今日のメールは復活の喜びをこう伝えてきた。氏のお許しいただいてここに紹介する。

イースターおめでとうございます。 34か月ぶりで礼拝に出席しました。 と言うより今年初めて教会の門を くぐりました。
暖かい朝でした。 タクシー屋さんに電話して10時に 乗り込みました。タクシーの後部から スロープを上り中に入るのですが、 私の車いすは普通の車いすより大きく タクシーは普通乗用車にスロープを つけた車なので天井が低く頭がつかえ ほとんど車いすに寝た状態で走ります。
私は頭をごつごつ天井と後ろのドアに ぶっつけながら車いすからお尻が落ち ないように両肘で車いすにしがみついて 乗っていました。10分位の我慢ですが大変です。
でも今年は復興予算で道路が良くなったのと雪がないのでいくらか助かり ました。
母が生きていたころ、30分以上かけて迎えに来てくれる教会のメンバーの奉仕に、「そんなにしてまで 行かなければならないの?」と母は迷惑をかけていることを心配して言ったものでしたが、私たち重度障がい者は、迷惑をかけたり、少しくらいの痛さや辛さを乗り越えて初めて喜びを 感じるのですね!
3ヵ月ぶりの教会は新鮮で豊かでした。完全に説教が聞き取れなくてもみんなで讃美し礼拝を守れた 喜びは何物にも代えられないものでした。12月末の脳梗塞を再発し入院していた人も 左半身のマヒが残ったと言いながらも元気に 出席していました。
素晴らしいイースター でした。感謝です。

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2016年3月24日 (木)

軍事国家への道

知らないところで力を頼みとした政策が展開しているようだ。

その一つが地方自治体が業務として高校卒業生名簿を自衛隊に提供していることである。先日の新聞報道によるとこれは既に多くの自治体において行われているとのこと。自治体が住民基本台帳を自衛隊に提供する、これは個人情報保護に抵触するのではないかと、懸念しつつ記事を読むと、自衛隊法の一項にそれが出来ると定められているとのこと。
こんなことは多くの国民は知らないだろう。それだけに怖さも募る。
もう一つ。それは防衛省が募っている将来軍事転用できる研究に既に幾つかの大学が応募し、採択されているとの報道である。
教育分野だけではなく例えば企業においても軍事兵器の研究や生産がかなりなされていることだろう。新聞もこうした軍拡の実際を特集に組めばよいのだが、なされていない。

今朝の新聞によると卒業式盛んな昨今、大学でも国家斉唱が多くの大学でなされるようになったという。
見張りの目をしっかりと開いていくことがますます大切になっている。

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2016年3月 7日 (月)

納得の一言

九〇歳になるご婦人に電話した。かつて学生時代に下宿先がなくなった時、お世話になり、家族同然に住まわせてくださった方である。ご主人は東京大学の教授をし、また牧師でもあった。亡くなるときには某私立大の学長までされたご主人だったが、病床にある時、この奥様は私のこのブログ記事をまとめた印刷物を枕元で読んでさしあげていたと後に聞いたことがる。
電話の声はいつもの早口であったがお元気そうだった。週に二回デイサービスにバスの送迎を受けて通っていること、家では入りにくくなったお風呂がそこでは安心して使えることなどを笑い声を交えながら話してくださった。
私が今の私の体の状態を話し、朝晩は着替えやトイレの動作に苦労していることを伝えると「いいんじゃない。やりなさいよ、時間はたっぷりあるでしょうし、ご自分のことだからね」と事も無げに言われたのだった。
さすがに私をよく知っておられる、がむしゃらに努力していた私の若き時代をご存知の方だとこちらも嬉しくなった。
励まし方にもいろいろあるが、こう言われると、納得するものだ。
この言葉で思い出す友人の言葉をもう一つ書いておこう。
それは大学時代の友人に、最近ではズボンを履き替えることがきつい時には履いたままで寝ることもあると電話で話したときの彼の一言。
「それも生活の知恵だね」。
両者に共通するこころは現状の肯定であり、甘受である。同情してもらうこと、いたわっていただくこと、これもありがたい。その一方で、今をそのまま認められることもまた納得できるし、力をいただくことになるのだ。

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2016年3月 2日 (水)

句集を作りたいという女性

29日だった。いつもの元気な声で「お元気ですか。」と携帯に電話が入った。我が家でやっている句会の仲間のSさんからだ。その前の日が暖かく衣服の調整に悩むような日だったので私も油断したためか、夕方には背中にゾクゾクしたものを感じたのだったが、Sさんも喉の調子が少しおかしいんです、などとしばらく話しているうちに、「あのー、お願いがあるんですけど」とSさんらしからぬトーンに声が変わった。
「いつかHさん(私)がおっしゃっていたことがありましたね。個人の句集のこと。あれ、私が生きている間にお願いできるかしら?」。「費用はもちろんお支払いしますし、お礼も出します」。
私は即座に「ええ、いいですよ。今、ちょっとした書き物をやっていますから、その後にでも作りましょう。句会で披露してくれた作品だけでなく、Sさんがもう一箇所でやっている会での俳句も載せましょう。」とお応えして、その日は終わった。
 
日が経つにつれ、私の中にはある喜びが湧いてきていた。自分の作品をまとめたいという方がおられる。自分の姿を留めたいと願っている女性がいる。生きた証しをしたいと望んでいる一人の人がいる。
それが新潟の自然豊かな山村の、しかし、そう豊かではない家に育って、両親や兄弟たちと懸命に生きて来た、私と同世代のおばさんである。
 
彼女の俳句にはもちろん花鳥風月を詠んだものもあるのだが、時々、苦労して育った家庭の家族が顔を覗かせているし、また、そういう生活背景を持っているためか、今子どもや孫達と幸せに過すことへの喜びを詠った作品が多いのだ。
また、彼女は共産党関係の方からの署名運動を依頼されて、それを句会に持参することもある。普段は心底明るい人柄の彼女の根底には戦後の厳しい時代を生きた魂が宿っているのだろう。
 
私は29日、Sさんにはしばらく先になるようなお返事をしたのだが、実は昨日は午後の多くの時間を使って、もうこの5年間の作品を並び終えている。
○○句集などという名前を付した題名ではなく、うまい題を考えてもらって、私が後書きを書くことをお許しいただいてなるべく早い時期に完成させたいものである。

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