« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月

2016年2月28日 (日)

主の子ども 祈り

神様、あなたの聖名を賛美いたします。

今朝もこうしてあなたの御前に私たちを集わせてくださいましたことに心からの感謝を捧げます。

受難週の第三主日を迎え、私たちはあなたの御苦しみを新たに覚え、あなたの苦しみによって救いに与っていることに畏れと感謝のこころを表すものであります。

神様、あなたは私たちを子よ、と呼び、あなたの子どもとして御手のうちにおいてくださいます。あの放蕩息子のたとえのように、いつもあなたの愛を忘れ、自己の力を過信し、あなたから遠ざかろうとする私達ですが、あなたは御手を大きく開いて、あなたの胸に帰るのを待っていてくださいます。

神様、どうぞ私たちが弟息子があなたの下に帰って、あなたの家で過ごそうとしたように、私たちのこころを整えてください。また、怒った兄息子にお前はいつも私と一緒にいるとおっしゃった言葉を私たちも素直に聞き、あなたの下でこの教会を生きる仲間とさせてください。

 これからあなたの御言葉を聞く幸いを感謝します。どうぞ、ここにおられない友、特に病の床にある友にあなたが臨んで、その心に、体に同じ言葉を届けて下さい。

 御言葉を取り次ぐ先生に力をお与えください。

 この祈りを私たちの贖い主イエス・キリストのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月22日 (月)

テレビの角度

50インチの大型テレビが少し居間の中央向きに角度を変えている。息子が出かけにやったものだ。
私は車いすのままで生活をしているので一段高くなっているフロアーには上がらない。食卓には脇から近づいて、表面の台をすこしずらして食べる。そうするとテレビの正面ではなく脇に位置することになるのである。
昼間私一人になったとき正面には誰も居ないから、私が見やすいようにとそうやって角度をつけておいてくれるのだろう。

あまり会話の好きな息子ではない。男と男の会話ではごく限られたことしか話題にならないのだ。
それだからといって私のことを全く意に介していないかというとそうでもない。私は息子が出かけた後に起きてくるのだが、居間に行く途中書斎の前を通るとカーテンは開てくれてあるし、机の脇にある加湿器には水が入っている。これを見るだけで朝のこころが和むのを覚えるのである。
振り返って、私自身親父と会話を持ったかと問うと否と答えざるを得ない。そればかりでなく老いた親父を喜ばすようなこともしなかったと記憶する。
妻が逝ってから私の脇から会話が去っていってしまったが、その中で、カーテンを開てくれたり、テレビの角度を変えてくれるという小さな心遣いに私は小さな灯を見つけて過ごしているのである。
付け加えれば、妻の遺影の前の花瓶には新しい草花が土曜日ごとに変えられて挿されている。今は黄色のチューリップ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月15日 (月)

鈴の鳴る道

今日は眼科の定期検査の日。比較的早く診察が済んだのだが介護タクシーの都合があって直ぐには帰宅できない。この病院に行くと利用する食堂も少し早過ぎるようだ。そこで廊下の片隅にある図書のコーナーに寄ってみた。
検査で瞳孔を開いたので小さな文字は読めないが絵本ぐらいは楽しめるだろうと書棚を見ていると星野富弘さんの「鈴の鳴る道」が目についた。昔読んだことがあるのでこの書名の由来は知っている。車いすの星野さんが散歩に出ると掛けてある鈴が音を立てるというのだ。それは道がデコボコしているからでもある。人生も同じで幾多のデコボコ、それは悲しい出来事であったり、思いがけない喜びであったりするかもしれないが、そうした道を進む時、人は鈴のよい音を聞く幸いを感じる。星野さんがそう言っていたかどうかは定かでないが、だいたいそんな意味を込めて名前を付けたということだったろう。
開いたページには赤い草花の絵があり、こんな詩が載っていた。
 花の名前もしらない 
 そのことが
 今朝はばかに嬉しい
 花だって たぶん
 自分に 付けられている
 名前を 知らないで 咲いている

私も今朝は誰にも気にかけられることなく、こうして一人病院に来て、そして、一人こんな時間を過ごしている。
そう思っていた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »