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2015年11月

2015年11月30日 (月)

一緒に賛美

Tさんは耳が不自由である。言葉は不自由なく話せるから生まれつき聴覚に障害があったわけではないだろう。
朝、教会に来ると決まって「おはよう!元気?」と向こうから声掛けをしてくれるTさんである。

いつもこのTさんの礼拝中の援助をしているのはHさん。椅子を並べて座り、Tさんの前に少し大きいディスプレーを用意し、Hさんは膝の上に置いたパソコンで説教を即座に入力しTさんが読めるようにするのだ。Hさんは説教だけでなく、雨がひどい時には「雨の音が聞こえます」などとも書き込んでいる。

先日Hさんが礼拝を休んだ。Tさんが「隣に来ていい?」と私に聞いてきた。そして、その日は私がHさんの代役をすることとなった。と言ってもパソコンを打つわけではない。讃美歌を歌っている時、聖書朗読の時、歌詞や文字を指でたどり教えてあげることくらいである。
説教中は牧師があらかじめ用意したその日の説教を箇条書きにした内容を指し示し、より具体的になるように紙の隙間に書き込みをしてサポートしたのである。

ふと気づくとTさんは賛美の時に声を出して歌うことをしていない。聞こえないから周囲の音と合わないことを心配して声を出さないのかしらとも思った。その時私は昔聴覚に障害を持つ子どもに発声の仕方を教えていたお母さんの姿を思い出した。お母さんは子どもを抱っこし、自分の喉に子どもの手を当てさせて音の響きを感じさせていたのだった。

私はTさんの手を取ってお母さんと同じようにした。耳で感じられなくとも手に伝わる響きで賛美に共に加われると思ったからだ。

でも今思うに聞こえない世界に生きているTさんはその世界で普通に生きているのかもしれない、聴覚の世界に連れ戻さなくともよかったのではないだろうか、という気もする。

礼拝が始まる前、決まって私の浮腫んだ足を持ち上げて車いすの前に用意した台に載せて、膝掛けを丁寧に掛けて下さるTさん。一緒に神を賛美するTさん。よい友を与えてくださった神に感謝したい。

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2015年11月15日 (日)

光は闇の中で輝いている 礼拝司会者の祈り

ご在天の父なる神様。あなたの聖名を賛美します。

神様、あなたは今朝もこうして私たちを御堂に集わせて下さいました。それぞれの日常の場を脱出せしめて、あなたの聖顔に触れるべくこうして集わせて下さいました。

この御心に深く感謝を捧げます。

神様、私たちの日常の場は暗闇に満ちています。

政治の世界では中央の権力が地域の平和を乱し、経済の世界では富める者が貧しい者をさらに貧しくしています。また、心や体に悩みを持つ者も日々苦しみの中にあります。

私たちはなぜこれらの重荷を運ばねばならないのかわかりません。なぜ、こんな煩いを抱えながら歩き続けねばならないのかわかりません。

でも、私たちは今、あなたの御子の誕生を待つ降誕前第6週に入ったことを知っています。

聖書には光は闇の中で輝いている。闇は光を理解しなかったと伝えています。私たちが理解しなくても、暗闇がいかに圧倒的に見えたとしても、あなたは闇は光を飲み込むことはできないとおっしゃいます。

どうぞ、このことを心から信じることができる私たちとならせてください。

 私たちはこれからあなたの言葉を聞こうとしていますが、ここにおられない友にもあなたが臨んで、その心に、体に光を届けて下さい。

 御言葉を取り次ぐ先生に力をお与えください。

 この祈りを私たちの贖い主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。  アーメン

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2015年11月13日 (金)

お訪ね、感謝

今日もこの「こうりゅう広場」をお訪ねくださり感謝します。
一日に30名ほどの方がお訪ねくださるのですが、その方がそうしておいでくださるのに毎日の更新ができず申し訳ないと思っています。
このブログにはお訪ね下さる方の地域が訪問者数の多い順に5つ程表示されます。それを見ると福井、沖縄、和歌山とありますが、私の想像を超えて未知の方が来てくださっていることを不思議に思ったりもしています。

昨日は「蟷螂」を読んでくださった知人からメールをいただきました。その方は私と同じ障害をお持ちの方で、戦争で家を焼かれた時地下の小さな部屋で過ごしていたそうです。そして外出もまならないその兄は友達になってくれたのが庭の虫たちで、カマキリもその仲間だったわけです。カマキリという虫はあれでなかなかの愛嬌者で、背後から近づくと首だけふりむいてこちらを見る、なんていう虫はカマキリだけです。」とおっしゃいました。

こうしてパソコンを通じてお交わりできますことを感謝しております。

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2015年11月 9日 (月)

蟷螂

新聞を取ってきた息子が「カマキリが自転車にいたよ」と言った。
昨日のカマキリに違いなかった。

昼飯を食べようとして居間に入った私は首筋に異変を感じていた。何か触っているようである。回らない首をひねってみるとなんとそこにはカマキリが乗っているではないか。緑色をした5センチ位上もある大きなカマキリである。
これが外で葉の上にでもいたら私は避けて通るであろう。あの尖った顔と突出した目。襲いかかるためにあるような前足。憎まれ、恐れられて当然と思える姿である。

だが今それを首筋に見た時私はそんな恐怖感は全く持っていなかった。なんとか捕まえなくてはならないとそれに必死であった。

自由が効かない私の手は思うに任せなかった。しかたなく新聞紙を丸めて払いのけようとした。すると首の辺りから姿が消えたようであった。背中に回ったのかも知れなかった。
洗面所に行き、後ろ向きになって鏡に映してみた。だが、彼の姿はなかった。

居間に帰りふと見上げるとなんと彼は入口に掛けてある暖簾に止まっているではないか。新聞紙で払った時義経よろしく飛び乗ったのであろう。
細い手脚を拡げて、空虚な出で立ちでチョコンといる。見ると、前脚の鎌のところが欠けていた。
思えば彼の顔だって彼が生きていくうえで都合のように与えられたものだろうし、目も虫などを素早く捉えるためにあの形になっているのかもしれない。誰に助けられて生きているわけでもなく、自らが鎌で捕らえて生き延びているのだ。
その鎌が今欠けてこれからどうするのだろう、ふと私はそんなことを思っていた。
だがである。かれにはもう首筋に止まってほしくはないのだ。なんとか捕まえなくてはならない。

辺りを見回すと床を掃除する用具、クイックルワイパーが目に入った。これなら私の力で天井まで伸ばすことができる。
私はそれを彼の近づけ、「ほら、移って」と言いながら彼の動作を見守った。すると、彼はためらいなく、そろそろと床を擦る際にシートを巻きつける平たいところに乗ってきたのだった。
私は降りないでよ、と願いながらワイパーを持って玄関ドアを開けた。そとは明るい秋の日だった。入口の壁にワイパーの先端を着けると彼はまたおとなしくそっちに体を移動させてくれた。

そして今朝。もうてっきりどこか草むらにでも入って野生の姿で生きていると思っていたカマキリがまだ我が家の中に留まって、ポスト脇に置いた自転車に乗っていたわけであった。

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2015年11月 5日 (木)

秋のよい日に

今日も秋晴れのよい日である。
本当にしばらくぶりに車いすに乗って近くに出かけた。まず、インフルエンザの予防接種。いつもは病院での診察を受けているので近くの医院は二年ぶりかもしれない。
帰り、ドラッグストアに寄って軟膏を買う。そして、カインズホームでゲルインクボールペンを赤と黒三本ずつ。書簡箋を緑とピンクも。
たまに行くと店内では変な緊張感がある。早々に外に出てロッテリアでチーズバーガーを単品で買った。
帰りがけ、ゆうちょ銀行のキャッシュコーナーがあったので少し引き出そうとしたが後ろから差す太陽光で文字が見えない。何度か車いすから立ち上がるようにして覗きこんだが「お引き出し」がどこなのかわからない。やむなく諦めて帰宅。
やっぱり家がいい。

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