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2015年10月21日 (水)

老いるということ

先日踵の傷の経過を診てもらうためにF病院に行った。近くのお爺ちゃん医師はあまり説明をしてくれないし、また点滴を勧められる心配があって病院を変えたのだ。
再診した医師は、このままでもういいでしょう、浮腫がある足は切りたくないし、ほぼ治っていますから工夫をしながら生活してください、と治療の終了を告げたのだった。

すこし心が軽くなって迎えの車を待つ間、病院の玄関脇の日あたりのいいところで来院する人たちを観察していた。
田舎の病院故、電車の便が悪いから車でやってくる人が多い。車が止まりドアが開くとそれぞれに運転手に一言交わし院内に消えていく。
そうした景色の中で、老夫婦同士でやってくる姿に私は人の優しさと厳しさを感じないわけにはいかなかった。
長い間畑に出たであろう少し腰の曲がった男性が表情の乏しい、一直線に前だけを見詰める女性を支えながら小さい歩幅で玄関に向かって歩く。苦しさを訴えるわけでもなく、不安を表すでもなく、二人は黙って歩いていた。
私と同様、子どももいるであろうし、助け手もないわけではないだろう。だが、今二人は長い間培ってきた二人の絆を大事にしてそうして二人で歩いているに違いないのだ。
認知能力に衰えを持つようになっても夫に寄り添われ通院しているのかも知れないこの二人の姿に私は感動を禁じ得なかった。

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