« 鳳仙花 | トップページ | 主よ、平和を。 礼拝司式者の祈り »

2015年9月 8日 (火)

一枚のはがき

一枚のはがきが届いた。差出人は近くの小学校の校長である。文面の宛先には神保原小学校区内敬老者様とある。きっと役場の住民台帳から情報を得て、該当者に送ったに違いない。

しかしそれは私にはどうでもよいことだった。なぜかといえば私は裏に書かれた温かいメッセージにこころ動かされていたからである。
 
先生が用意したらしい運動会のイラストには色鉛筆で色彩が施されていた。そして、その下の引かれた罫線にそって「台風の目をやったり、南中ソーランを踊ったりつな引きをしたりするのでぜひ見に来てください。」と鉛筆で丁寧に書かれた言葉が並んでいた。

4年2組M田T輝と名前が記されていた。
 
ここ数年、小学校では敬老の日を前にして運動会への案内を続けている。だが、孫達が卒業し、私の体力が落ちてからはせっかくのご案内に応えたことはない。ただ、案内を書いてくれた子どものことを思うと何も応答しないのは心残りではあった。
 
そこで今回は子どもに返事の手紙を書くことにした。返事をいただく喜びを私も子どもの頃経験していたからである。 

それは小学校の高学年か中学の初めの頃だったかもしれない。

「ノンちゃん雲に乗る」に感動した私は作者の石井桃子さんに感想文を送った。すると、しばらく経ったある日、親たちが蚕にやるために桑の葉を土間でもいでいたところに郵便屋さんが小包を運んで来たのである。それは岩波書店からだった。開くと、小さな二冊の本、石井桃子訳「小さな牛追い」と「牛追いの冬」が出てきた。手紙は何も入っていない。

親は何かの間違いだろう。そのうち請求書が来るぞ、とか言って、私の作者が贈ってくれたのだろうという弁を聞こうとしなかった。

私は心配のあまり直ぐに再度石井さんに手紙を書いた。

何日後だったろうか。今度は石井さんご本人から太くやさしい文字のはがきが来た。そこには、心配かけてごめんなさい。あまり忙しいので出版社に頼んで本を送ったのです。おもしろかったよと言ってもらうとうれしいです。こんなことが書かれていたと記憶する。

私はこのはがきを宝物として成人してまでも持っていたのだった。

 

さて、T輝君への返事。私はT輝君にかつて私が経験した学校での運動会の様子を知らせたいと思った。写真を添えたらより楽しいはがきになるだろう、そうも思った。

だが、身辺整理を始めている私のアルバムからは勤めていた特別支援学校の子どもの運動会写真はすっかり消えていた。

そして、探すのはもう諦めて、昔写真に夢中になっていた頃撮り貯めたモデル撮影会での写真や信州の風景写真などをPROFESSONAL ALBUMを次々に引出しては想い出と共に眺め、やがてそれも終わったその時、ふと汚れた「サクラカラーアルバム」がアルバム棚に挟まっているのに気が付いた。

開いて見るとそこにはもう30年程前に担任した子どもたちの写真があった。そして、Hさんが車いすに乗り赤い鉢巻をして走っている運動会の写真があるではないか。Hさんの後ろには男の子も杖を大きく振って追っていた。

Hさんは骨脆弱症の生徒だったが、後に商業高校へ進学し、卒業式では答辞を読み、取った資格を生かして一流企業に就職した娘である。彼女からいただいた初月給で買ったネクタイはまだ私の寝室に掛っている。

こんな素敵な写真に出会った私は喜びの余り、「探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイによる福音書7:7)を一人口ずさんでいた。

 

早速私はこの古い写真をスキャンして、色補正した上ではがき裏面一杯に印刷した。

表は下半分に最近覚束ない筆でこう記した。 

運動会のご案内のはがきをありがとうございました。

つごうで行くことはできませんが、智輝君は思い切り走ってがんばってください。

昔私が勤めていた学校でもみんな一生けんめいに運動会をしました。車いすの子も杖の子も走りました。

26日が楽しい日になることを祈っています。

 

書き終わってから私は文字全体を空色のマーカーペンで囲み、行間には赤い小さな花びらを挿入した。 

 一枚のはがきはこうして昨日の私を勇気づけ、豊かな世界へと導いてくれたのだった。

|

« 鳳仙花 | トップページ | 主よ、平和を。 礼拝司式者の祈り »

手紙」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136400/62242768

この記事へのトラックバック一覧です: 一枚のはがき:

« 鳳仙花 | トップページ | 主よ、平和を。 礼拝司式者の祈り »