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2015年5月

2015年5月22日 (金)

机の上の葉書

 50円切手を貼った一枚の葉書。もう何年こうして見え隠れしながら机の上に置かれているだろう。消印は17.10.26とあるから丁度10年前になる。

 葉書の下半分に綴られた文字の細さ、その弱々しさに秘められた悲しみが私を捕らえて放さないのかもしれない。その弱さにはまた、人の真実な神を信じるこころが込められても居る気がするのだ。

「主の御名をあがめます。
 『喜びのいのち』韓国語版ご送付、感謝いたします。細かいところでずいぶんとお骨折くださったことでしょう。ご苦労のねぎらわれてありますように。

 小生、目下休養中というか、七月末以来、胃の入口のところにできた腫瘍が相当に悪く(末期のすこし前)、転移した(とくに肝臓)ところを消すために化学療法をほぼ三ヶ月行ってきました。まだ目ざましい効果もなく抗がん剤の強さを増し、ずいぶんと体力を弱らせています。現在は広島まで週一度通院しています。
 
お祈りに覚えてください。在主」
 

 手紙の主、N氏はこの年の12月神様の下に旅立った。享年62歳。

 体の痛みやままならない諸動作を抱えて生きながら、N氏のように苦しみの中から天を仰ぎつつ信仰を全うした多くの友を思う今日此の頃である。

 

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2015年5月17日 (日)

家で礼拝

教会では今、説教が語られている。神様の御心を牧師が取り次いているのだ。

だが、私はその席に今日はいられない。先日来、胸の筋肉の疲れがひどく、息苦しいのである。何事にも手の力を必要とする生活で疲れたのだろう。
そこで、今朝はインターネットで礼拝に与ることとした。いつも旧約聖書の学びをしている篠崎キリスト教会のホームページには先週の説教が動画で掲載されているので、そこで主の言葉に聞くことにしたのだ。
約30分の説教を聞いて、私の心は満たされている。ローマや日本のように人間が創りだした神を拝むのではなく、私たちを生かす神、主イエスを礼拝するところに永遠の命が保障されることを改めて確認させられたからである。
今、全国各地で行われている礼拝の上に神様の豊かな祝福がありますように。

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2015年5月 4日 (月)

「国旗」を掲げる家

我が家の近くに一軒、祝日には国旗を掲げる家がある。今朝も広い庭に入る門に旗が無風の中に垂れ、玉が鈍く光っている。

1999年に国旗・国歌法案が成立したときにはそう遠くない日に各家庭でも祝日には国旗を掲揚するようにとの声がどこからか聞こえてくるだろうと危惧したのだが今のとこをまだそのお達しはない。

とは言え国歌斉唱と国旗の掲揚を国立大学でもするようにと先日、文科省が言い出したご時世だから「日本国民であるなら」とのおかしな理屈を持ちだして強要することがないでもないだろう。

強い日本、伝統ある日本、積極的に平和に貢献する日本。こんな声の下、一色に染まっていく社会が怖い。

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