« 困難の中にある救い | トップページ | 「国旗」を掲げる家 »

2015年4月27日 (月)

名前で呼んでみたら・・・

4月2日は誕生日だった。その日のフェイスブックを私は「78歳になりました。定年を迎えて18年、妻和子さんと別れて7年になりますが今こうして生活を保たれているのは皆様はじめ多くの方々とのお交わりのお陰です。」と書くことで多くの方からのお祝いのメッセージに応えた。
振り返ってみると、妻のことを和子さんと呼ぶのはここ数回のことである。いわば新呼称なのである。そして、この呼称は新しい和子さん像を私の中に誕生させていることに気づくのだった。

古い写真を整理しながら時々和子さんの若い、まだ結婚前の姿を見つめていると和子さんがH家の一人の大事な娘として成長していたことを知る。大人の女性として、彼女独自の幼い時からの歴史を持って、そこに存在していたことの重さを感じるのだ。

その人が私という一人の男性と出逢って共に生活をするようになった。その動機は私の足として生きたいとのことだったが、その願いどおりに和子さんは全ての力を私に注いでくれた。いや、私はそう捉えていた。妻という名称もそんな男の一方的理解の所産なのかも知れない。

だが、きっと彼女には彼女の独立した感じ方や喜びがあって一人の人間として、一つの肉体を持った人としての世界があったに違いないのだ。その人が傍にいて精力的に私に関わってくれただけなのかもしれないのである。

そうならば、もっと違う呼び名、その独立性を重んじた呼称を使わねばならない。和子さんという呼び方はそれにふさわしいという気がする。

和子さん、どう思いますか?

|

« 困難の中にある救い | トップページ | 「国旗」を掲げる家 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136400/61502084

この記事へのトラックバック一覧です: 名前で呼んでみたら・・・:

« 困難の中にある救い | トップページ | 「国旗」を掲げる家 »