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2015年3月29日 (日)

ある婦人

教会から帰ってきてパソコンに向かっている。今書き留めておかないとこの感動は消え去ってしまうからである。

受難週の礼拝は主がいかに私たちを愛し、そのために自らのいのちを献げてくださったかを改めて知ることが出来るよい礼拝であった。説教の中で、主は今も十字架上で苦しんでおられる、それは私たちの苦しみを負っておられるとのメッセージがいただけたことも幸いであった。

教会に連なる幸いは礼拝以外でも多いに実感することが出来る。今朝も、行き帰りは牧師の奉仕によるものだったし、礼拝前にはきまって一人の友が私の体をもみほぐしてくださる。また、お会いする方々が安否を問合い、交わりを持つこともなんと嬉しいことだろう。

礼拝が終わってある婦人に脚はどうですか、と声をかけられた。そして、その方は浮腫んだ私の脚に触れ、ひどくなると体液が出てくるでしょう、と私の顔を見上げたのだった。そうなんですよ、利尿剤でなんとかしのいでいるんですが、こんなに太くなった脚は重くて大変なんです、などと実情を話したのだが、こんなことに心を砕いて下さる人が居ることに私は大きな慰めを覚えたのだった。

今日は大掃除の日である。私は一緒におにぎりをいただいて先に失礼してきたが、今頃まだ皆さんは和気あいあいモップをかけたり、窓ふきをしておられるだろう。
いつ神様の下に召されるか分からないこの歳になって、私は多くの温かい見守りを受けながら愛の床に横たわっているような気がする。

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