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2015年1月 7日 (水)

年賀状

今年の年賀状には新年とクリスマスの喜びの挨拶に添えてこんな文章を付けた。

日曜日の午前九時半。教会の軽自動車が玄関前に止まる。私は電動車いすを助手席に近づけ後ろ向きになる。自分の力では乗り込めなくなった体を牧師さんに内部からベルトを持って引っ張り挙げてもらうためだ。
教会には十五分程で着く。
礼拝は十時三十分から。私の席は最後部の窓際。牧師さんがストーブを足元に用意してくださり、TさんやHさんは私の浮腫んで重い足を持ち上げて車いすの前に用意した台の上に乗せてくれる。司会の役のない日はこうして足を伸ばした姿勢で私は礼拝に与るのだ。
礼拝では神様の御声を聞き、皆で神を賛美し、祈を合わせる。生活動作がきつくなっている今、私はこの時にいただく慰めと勇気に日常の日々を生かされていると言っていい。
礼拝後ホールでお茶とお菓子の交わりの時を過ごしてまた牧師さんと家に帰る。恵みに満ちた週に一度の外出の時である。

出した枚数は100枚である。これは例年より50枚ほど少ない。形式的に年に一度の挨拶をすることを控えようと決めたのである。
今日七草粥の日を迎えていただいた枚数を数えると100を少々上回っているようだ。返事を書かない方には申し訳ないが決心してこのまま収めようと思う。

改めて一枚一枚読んでみると皆さん、それぞれに一生懸命生きておられる。また、そんな毎日の様子が分かる葉書が嬉しい。
公務員官舎で家族ごとお交わりをいただいた方、長い教員生活で知り合った保護者の皆さん、「教え子」、教育実習生、また、東京の教会の友、遠くは学生時代の友人。もちろん職場の友もその中にいる。

この皆さんの息を肩に感じながら今年を私も生きていくことにしよう。

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