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2014年11月19日 (水)

長崎の旅(1)

長崎や雲仙がもう一度我が関心事になろうとは予想しなかった。もう一度とは45年前、ここに図らずも今にして思えば「派遣」されたことがあったからである。
その頃私は高等部の主事をしていた。主事は校長が常時いない学校においては教頭に次ぐ責任を負う立場であった。
高等部の生徒の修学旅行が企画された。教頭が学校を空けられない時、その責任者には主事が当たることとなる。私が同道しても障害を持つ生徒の介助を負えるわけでもなく、適任とはいえないが、しかし、職を持つ以上忌避することは不可能だったのである。
私は己の負の部分を現地佐世保にいる友に補ってくれるよう依頼もしたのだった。

こう述べたからと言って修学旅行が陰を帯びたものになったというわけでは決してない。いや、同行の教師や介護の保護者との、そして生徒たちとの交わりによって、実り多い物となったと断言できる。26聖人像、平戸の教会群、雲仙の地獄谷、長崎平和公園、オランダ坂等々の体験は今、遠藤周作との交流を通して貴重な財産として蘇ってきたからである。

今日読んだのは「切支丹の里」の中の「雲仙」だった。遠藤らしき主人公能勢が殉教者の跡を追って旅をして、小浜から雲仙にバスに揺られて行く。バスガイドも乗客も殉教者の次第には全く関心がなく地獄谷へと山を上っていく。これは45年前の私でもあった。

小説は能勢に一人の転びの男に関心を持たせる。
「12月5日、拷問は次のようにして始まった。七人は一人ずつ、煮えかえる池の岸に連れていかれ、沸き立つ湯の高い飛沫を見せられ、信仰を棄てるように命じられた。・・・警吏はこの答えをきくと、囚人の着物をぬがせ、両手を縛って、四人を押さえた。それから半カーラ(四分の一リットル)くらい入る柄杓で沸き立つ湯をすくい、それを三杯ほど各人の上に注いだ。・・・三十三日の間、彼らはこの山で各々、六回このような拷問をうけたのである」
こう話は進むのだが、能勢の関心はこの殉教者に見えつ隠れつ後を追う、転びの男キチジローにあった。「ゆるしてくだされ。わしはお前さまらのように殉教ばできる強か者ではござりませぬ。」と彼に言わせるのだった。

遠藤の主要テーマはこの転びをする弱き者にある。新約聖書の時代ではイエスが十字架に架けられる時、あの人は知らないと言ったペテロの弱さである。(イエスはその弱さの上に教会を建てるとおっしゃったのだが)

ふとしたきっかけで遠藤周作と再度触れ合い、殉教の歴史に体を硬直させながら、一方また、己の過去の出来事の意味付けなどをしながら何回か遠藤と共に長崎の旅をしてみたい。

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