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2014年8月 1日 (金)

私達が叫ぶと主は聞いてくださった

申命記26:5-9「私の先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこの私たちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。私たちが先祖の神、主に助けを求めると、主は私たちの声を聞き、私たちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもって私たちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました」。

申命記を一人ぼそぼそ読んできて今朝は26章になった。約束の地に入るイスラエル人に対してモーセが勧めの言葉を述べているところだ。
上記引用箇所はその冒頭の句である。
イスラエルの民がエジプトで多くの苦しみを背負っているとき、その苦しむ者の声を主は聞き届けてくださり、救いの御手を伸ばされたのだった。
苦しみがあることは否定すべきでないことがここで知れる。ただ、それで救いに与るのではない。聖書は苦しみー叫びー救いという方程式を示していると解説書は言う。だが、この神への叫びはどう聖書に書かれているか私には定かでない。はっきりしていることは神が見守っており、その苦しみの声を自らお聞きになったということである。

苦しむ人は独りではない。神が気づいていて、ご覧になっている。そこに感謝して、救いの道を進もう。

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