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2014年8月

2014年8月25日 (月)

親孝行

今朝のNHKTV。大阪のとある神社の境内を熱心に歩きまわる人たちがいた。お百度参りをしているのだ。限られた空間を何度となく繰り返し歩く。その人達の表情は真剣だった。
その中に一人の女性が居た。すい臓がんを宣告された母親の快癒を願って御百度を踏んでいるのだという。アナウンサーの問いかけに「親孝行になればと思って」とその女性は答えた。
どうもこの映像は以前撮られたものらしかった。その母親は今は危険が去って日常生活が普通に送れるようになったのだった。
そして、今朝の映像では親子そろってお礼のお百度参りをしている様子を伝えていたのだ。娘さんがお母さんに向かって以前お百度参りをしていたことを話すと母親は涙を流し、娘を抱きしめていた。
現代は子たちも多忙な生活を強いられている。自らが生きるのに精一杯で生きている。そんな中、親孝行をしよう、などというこの女性の心は貴重品のようでもある。いや、親孝行という言葉が残っていたこと自体驚きであった。


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2014年8月24日 (日)

礼拝司会者の祈り 8月24日

 ご在天の父なる神様。私たちは今朝もこうして御堂に集うことができました。あなたの恵みに感謝いたします。
暑さの中で、体調を崩し、思わぬ出来事に心くじけることも有りますが、あなたはその都度御言葉をもって私たちを励まし、支えて下さいました。
そして、この聖日、あなたの元に帰り、あなたを讃え、あなたとのお交わりをいただくこの時を心から感謝します。
神様、地上に平和をもたらせてください。地上から戦いを拭い去って下さい。幼い、美しい目をした子どもたちが、砲弾に怯える日をなくして下さい。
貧しい人々の国から貧しさ故に起こる病を取り去って下さい。苦しんでいる人たちに癒やしの手を差し伸べて下さい。
また、日本国内でも豪雨による大きな被害が出ています。多くの人が亡くなり、家が失われ、生活の基盤が消え失せています。どうぞ、慰めと、癒しと、そして、あなたによる希望とをお与え下さいますように。
 この聖日、教会に集えない友が多くおります。病で苦しんでいる友には癒しの御手を、仕事の友には安らぎを、また心があなたの元から離れている友には御言葉を与えて下さい。
 これから喜びのメッセージを取り次ぐ先生をあなたの力で満たしてください。
  この祈り、感謝、願いを救いの主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。  アーメン

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2014年8月12日 (火)

姉からの電話

今しがた姉から電話があった。「この間はありがとう。元気になったよ。うちの中は捉まらなくても歩けるし、お盆に皿を乗せても歩けるよ。また、そのうち行ってみるからね」。姉は元気な声でこう話した。

実は入院の話を聞いて、私は川崎に住む弟を呼び出し、介護タクシーを利用して病院に見舞ったのだった。ベッドの姉は特に治療もなく、原因も特定されないまま日を送っているとのことだった。そこで、弟はきっと自分の妻にさえしてあげたことのない、爪切りを姉にしてあげた。姉は「一生の思い出になるよ」と喜んでくれた。

その数日後姉は家に帰された。今の病院は治療のない者はさっさと帰してしまうのだ。私は弟と、きっとこれからは隣に住む息子夫婦の世話を受けながらの生活になるだろうね、と話し合っていた。

その矢先の今朝の電話である。電話通りの回復ぶりであったらこんなにうれしいことはない。

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2014年8月 1日 (金)

私達が叫ぶと主は聞いてくださった

申命記26:5-9「私の先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこの私たちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。私たちが先祖の神、主に助けを求めると、主は私たちの声を聞き、私たちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもって私たちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました」。

申命記を一人ぼそぼそ読んできて今朝は26章になった。約束の地に入るイスラエル人に対してモーセが勧めの言葉を述べているところだ。
上記引用箇所はその冒頭の句である。
イスラエルの民がエジプトで多くの苦しみを背負っているとき、その苦しむ者の声を主は聞き届けてくださり、救いの御手を伸ばされたのだった。
苦しみがあることは否定すべきでないことがここで知れる。ただ、それで救いに与るのではない。聖書は苦しみー叫びー救いという方程式を示していると解説書は言う。だが、この神への叫びはどう聖書に書かれているか私には定かでない。はっきりしていることは神が見守っており、その苦しみの声を自らお聞きになったということである。

苦しむ人は独りではない。神が気づいていて、ご覧になっている。そこに感謝して、救いの道を進もう。

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