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2014年5月 8日 (木)

信仰の友

「喜びのメッセージ」「今に生きる信仰」を読ませていただきました。私も似たような気持ちで信仰生活を送っています。
4日の聖日礼拝は30分遅れて出席しました。準備し送迎してくれる介助者はクリスチャンではありません。
普段の生活に疲れて日曜日はゆっくりしたいと考えています。
特に第一聖日は午後に役員会がありますのでお弁当を持って出かけます。
その弁当作りも大変です。私は弁当はどうでもいいのですがなかなかそうもいきません。その上、彼女は運転が上手ではないので教会の敷地に入らないで近くの図書館の駐車場に止めて私を車いすに乗せて押して行くのです。
30分も遅れては礼拝堂に入るのには勇気がいります。行くのを止めたくなります。
4日も休もうかなと思いましたが、準備をしたこともあり出席することにしました。
新緑を車の中からゆっくり眺め、一人くらいは俺のような者もいていいのではないかと、残雪が太陽に輝いている山並みを眺めたりしてマイペースで走りました。
静かに誰にも気付かれないようにそっと会堂のドアを開け一番うしろにブレーキもかけないで置いてもらいました。
彼女も静かに帰りました。
教会は礼拝を守るところですが、わたしにとっては無条件で迎え入れてくれる場所でした。
今はどこもバリアフリーで障がいを持っていても入れますが40年前ころは体の不自由なわたしを迎え入れてくれるところは教会しかありませんでした。
教会はオアシスでした。
私はいつでも、教会はドアを開いてくれていると心から思っています。
牧師や信徒は分かりませんが、神様は30分遅れの私でも喜んで迎えてくれると感謝しています。





これは東北地方に住むODさんから届いたメールである。このブログを読んで応答してくださったのだ。ここに載せることの許可を頂いてはいないが許されるだろう。
同じ主に生かされる友がいることの幸いを思う。

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