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2014年5月

2014年5月30日 (金)

信仰の友

在京時に所属していた教会から17年経った今でも週報が送られてくる。お陰で教会の様子がよく分かるし、生き生きと活動している姿に力を与えられる。

その週報に少し前召された姉妹を偲ぶ原稿募集の記事が載っていた。教会報を姉妹中心に組むというのだ。
この姉妹Mさんは私が学生時代にもう教会に居られた方で、「学生服を着ていらっしゃった」といつも私を表現していた親しい方であった。

私は他教会の会員になってしまった今、許されるかどうか遠慮しながら以下の原稿を送った。

Mさんのこと
音羽の大通りから路地に入ったところにあるご自宅にHさんやTさんと何度かおじゃましたことがありました。教会のご婦人方には個性的な方が多くいましたがMさんもそのお一人でした。洒落たお部屋で、Mさんは笑顔いっぱいに、どこか遠慮しながら、それでもチクリチクリと牧会のあり方について自説を説いていたのではなかったかと今懐かしく思い返しています。
そうなのです。Mさんは牧師に直接言えないことを私には時々お話くださいました。私もそれが嬉しくて、書き物をお見せしていたのではないかと思っています。
教会を辞して田舎に帰っても「こころの便り」はfaxなどを利用して送っていたのですが、それへの返信(
20053月付け)が手元にありますのでMさんを偲ぶ縁になればとその一部をここに紹介しましょう。(原文ママ)
「先日はこころの便り、ありがとうございました。今は陽気が不順、仲々春がやってこないですね。でも、もうイースターですからうれしいですね。(中略)一人で考えていると命とか死とかわかりませんね。でも神様がすべてなさって下さることですか安心しています。(中略)今、窓から空を見ましたら明るいのに円いお月様がうっすらとしかも大きく見えているのに気がつきました。まだまだ夕陽が明るいというのにきょうは何となくさびしいのですが自然を見るといやされます。(以後略)」
初めに書かねばならなかったかもしれません。この文面から三原さんは神様への信仰に生かされた人でもあったことがわかります。
また、その前年の11月の手紙には「いろいろの事が多かった年でした。どうか平和な世界になるように祈っております。」とありました。
教会の兄弟姉妹を愛し、神様に従い、ご家族の愛情に生かされたMさん、この姉妹をお与えくださった神様に感謝。

 

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2014年5月 8日 (木)

信仰の友

「喜びのメッセージ」「今に生きる信仰」を読ませていただきました。私も似たような気持ちで信仰生活を送っています。
4日の聖日礼拝は30分遅れて出席しました。準備し送迎してくれる介助者はクリスチャンではありません。
普段の生活に疲れて日曜日はゆっくりしたいと考えています。
特に第一聖日は午後に役員会がありますのでお弁当を持って出かけます。
その弁当作りも大変です。私は弁当はどうでもいいのですがなかなかそうもいきません。その上、彼女は運転が上手ではないので教会の敷地に入らないで近くの図書館の駐車場に止めて私を車いすに乗せて押して行くのです。
30分も遅れては礼拝堂に入るのには勇気がいります。行くのを止めたくなります。
4日も休もうかなと思いましたが、準備をしたこともあり出席することにしました。
新緑を車の中からゆっくり眺め、一人くらいは俺のような者もいていいのではないかと、残雪が太陽に輝いている山並みを眺めたりしてマイペースで走りました。
静かに誰にも気付かれないようにそっと会堂のドアを開け一番うしろにブレーキもかけないで置いてもらいました。
彼女も静かに帰りました。
教会は礼拝を守るところですが、わたしにとっては無条件で迎え入れてくれる場所でした。
今はどこもバリアフリーで障がいを持っていても入れますが40年前ころは体の不自由なわたしを迎え入れてくれるところは教会しかありませんでした。
教会はオアシスでした。
私はいつでも、教会はドアを開いてくれていると心から思っています。
牧師や信徒は分かりませんが、神様は30分遅れの私でも喜んで迎えてくれると感謝しています。





これは東北地方に住むODさんから届いたメールである。このブログを読んで応答してくださったのだ。ここに載せることの許可を頂いてはいないが許されるだろう。
同じ主に生かされる友がいることの幸いを思う。

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2014年5月 7日 (水)

喜びのメッセージ

申命記は今に生きる者への書物であることは先日伝えたとおりです。ですから今日は今の自分への御言葉としてここから聞いてみたいと思います。
モーセはホレブの山で神から掟をいただきます。掟はそれを守って生きるところに神の愛が示される枠組みです。愛のパッケージと言ってもいいかもしれません。
その第一番に届けられるパッケージは
申命記5:12-15「安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。・・・あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」というものでした。
エジプトで奴隷として働き、休むことはおろか生きる歓びを持つことなど許されない身の上でした。それが今、休むことを公に許そうというのです。
私達も、いや私は日頃一人での生活を過ごし、体への不安、その日起こるであろう出来事への心配を常に持ち続け心の底から休むことができない状態にあります。
そんな私にとって、教会への出席は全てからの解放の時となっています。多くの兄弟姉妹の守りの中で、神の御言葉に包まれて時を過ごせるからであります。その安心感から礼拝中に居眠りをすることさえ多くあります。
以前、働きながらの礼拝出席は辛いことと捉えていたのを思い出します。このキリスト者の義務から逃れたいと思ったことさえあります。
しかし、「休みなさい」というメッセージを神さまからの愛のパッケージ、祝福としていただく時、日曜日はこの世の務めから神の祝宴に席を移すことなのでした。まさに詩篇30章5節6節にあるとおり「主の慈しみに生きる人々よ、主の賛美をうたい、聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。…泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌とともに朝を迎えさせてくださる」ことなのです。
今日も十戒の最初の戒めを祝福として覚えながら一日を送りたいと願っています。

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2014年5月 5日 (月)

今に生きる信仰

「5:1 モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。5:2 我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。5:3 主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。」
先日来申命記の学びを始めている。出エジプト記の学びが終わってここに移住してきたのだ。助け手は篠崎キリスト教会のホームページ。上記の聖句はそこで出会ったもの。
申命記はモーセのお別れ説教という形をとっているが実はイスラエルが不信仰故に捕囚の民となりもう一度神に還ることを願って編まれたものと言われている。だから、「
主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。」という言葉が説得力を持つのである。
我々も今に生きる信仰を大切にしなければならない。過去に教会形成にどんなに「実績」があるかは問題では無いのだ。いかに多額の献金をしようとも、どれだけの時間と労力を費やそうとも今信仰を捨ててしまったら意味が無い。とかくこの世の教会はそんな方を大事にし、慕う。だが、今日の聖句は今神さまの御言葉に依り頼む者こそ真の信仰者だと伝えている。そう我々も生きたい。


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