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2014年4月

2014年4月27日 (日)

復活節の祈り

 恵み深き父なる神様。あなたの招きを受けて今朝も私たちはここに集って参りました。その恵みに心からの感謝を捧げます。
 神様、私たちは今、復活節の喜びの日々を送っています。あなたの御子、主イエスが甦られ、私たちの希望となられました。私たちはこの光を見つめながら、新しくなったこの年度を歩んでいこうとしています。
 神様、私たちは日本基督教団信仰告白を告白する者の集いです。その告白において、教会は主イエスキリストの体にして恵みにより召された者の集いですと告白しております。
 
体はその一部が悲しめば、全体が悲しみ、一部が喜べば全てが喜びます。どうぞ、あなたの体として、全ての者があなたによって確かにつながり合い、助け合って、イエスキリストの体にふさわしい教会へと進ことが出来ますように、そしてあなたの栄光を表すことが出来ますようにお導き下さい。
 神様、この良き日にここに来られない友がいることを覚えます。どうぞその一人ひとりの身元を訪ね、祝福し、励ましを与えてください。
 喜びのメッセージを取り次ぐ先生をあなたの力で満たしてくださいますように。
 この祈り、感謝、願いを復活の主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。

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2014年4月18日 (金)

あるべきところ

週に二度マッサージを受けている。浮腫の軽減、肩や腕の痛みの緩和、首の凝りの除去などその効能はいくつかある。夜以外に仰臥位で寝ることはない体にとってこの30分~40分は至福の時である。
その施療の中で気づいたのだが、私のように体が歪み、常時不自然な姿勢をとっていると、仰臥したときでも本来的に与えられている体のありようを体が忘れてしまっているということだ。

マッサージ師が寝ている私の腰のあたりを持ち上げて少し横にずらす。見下ろすと不自然にねじれているのだろう。不思議なことにそうやっていただいた途端、ふっと我が体は誕生時の我に帰って、母から与えられたあの安堵感を覚えるのであった。

しかし、その本来の位置は起き上がり、車いすに座ったときにはもうとることが出来ない。望まいない姿勢でないと動けないのだ。

不自然と知りつつそこに生きる。人の姿の象徴を見るようである。

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2014年4月17日 (木)

神様、なぜですか

神様、なぜですか。なぜ友をかくも早くお召になったのですか。
まだ70を過ぎたばかり、しかも教会では役員として一手に雑用を引き受け、兄弟姉妹の連絡役に徹し、奥様を認知症故に施設に預けたご家庭から教会に足繁く通ってきていたYさんです。夕方になると娘さんが帰宅するまでお孫さんを預かり、好々爺ぶりを発揮していたと聞いていた兄弟です。
もう一時代前になりますが大学生や若手社会人教会員の集いにいつも混じって細々と気遣いをしていた姿が私の脳裏には強く焼き付いています。
この教会の牧師N氏に二人の聴覚障害の息子さんがいましたが、Y兄はいったん就いた職を辞し、こんどは聴覚障害児の学校の教師として最後まで務めたのでした。
こうして隣人を愛し続けた兄弟を、人知れずあなたは召されました。
私たちの知恵を超えたところにあなたの御心はあります。それを信じさせて下さい。あなたの祝福の内に全てが置かれますように。アーメン

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2014年4月15日 (火)

友逝く

柔道をやっていた頑丈な体の持ち主の友が逝ってしまった。学校行事で遠足に行った時など私が登れない坂道をいとも簡単にその大きな背に負ってくれた気さくな親切な男だった。
病気をしてからは本性の気弱さが表面に顔を出し、周囲に遠慮することが多くなった。それだけにより多くの友が自ら彼の元を訪ね、励ましもしてきたこの数年だった。
私は面会に行けないし、友も外出ができないからもっぱら電話でのやりとりになったのだが、彼が子供の頃私の母校新島学園のある安中に住んでいたこともあって、安中の思い出話をすることが多かったが彼はそれを大変喜んでくれた。
その安中で彼は教会の牧師の家に山芋などを採ってよく持って行き喜ばれたそうだ。また、私も世話になった宣教師とも顔なじみだったとも言っていた。
今日は彼の告別式。娘さんが喪主になってキリスト教式の葬儀が執り行われるという。彼も喜んでくれるだろう。

祈り
神様、あなたの愛によってこの世に生まれさせ、またあなたの御心によってお召しになった兄弟をどうぞあなたのもとに憩わせて下さい。神様が導き、兄弟が為したこの世での多くの尊い業を思い、あなたを賛美いたします。どうぞ、残されましたお子さんたちをお守りください。感謝して、主イエスのお名前によってこの祈りを御前に捧げます。アーメン
 

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2014年4月 8日 (火)

交流感謝

このブログのアクセスが10万を超えたことを知った。驚きの数である。
いや、数ではない。10万の心がこの私の上に注がれたのだ。8年ほどの時間が過ぎているとはいえこれは有難いことと言わねばならない。
一日の訪問者は10人から20人である。きっと同じ方が繰り返し訪ねてくださっていることだろう。
最近はfacebookに記事を書くことが多くなって、こちらはご無沙汰することが多い。facebookでは相手が分かるし、応答も簡単で早い。一人で生活する者にとっては利用したくなるソウシャルメディアである。
だが、ブログに記事を書かなくなったのはそればかりではない。真の理由は私の生活が表面的になってしまったのだ。思考の時間が減ったのである。
物事を簡単に済ませようとする。避けようとしてもそうなる。残念な傾向である。

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2014年4月 2日 (水)

誕生日感謝

7Photo7歳の誕生日を迎えた。爽やかな新鮮な空気に包まれている感がある。こんな気分で誕生日に出会えるとは思わなかっただけに嬉しい。感謝なことである。
その一因は健康が守られていることだろう。多くの友が天に召され、また病の中にいるとき、不自由度が増加し、日常生活動作に痛みを持っているとはいえ、毎日パソコンに向かって楽しみを味わうことが出来る体を与えられている。有難いことである。
多くの友に支えられていることを実感できることもまた要因にあげられる。
昨日は飯野牧師が一日早い誕生祝いの昼食に誘ってくださった。計画では郵便局にでかけ、切手や葉書を購入し、近くに住む俳句仲間の野沢さんを誘って大型店舗の駐車場に咲く桜を眺めながらお茶でも飲もうとしていたのだが、そのために昨日は利尿剤の服用も止めていたのだが、朝方飯野先生から電話があったのだった。
行き先は本庄早稲田駅近くのイタリア料理店「馬車道」。食事の前に感謝の祈りを捧げ、メニュウの写真から美味しそうに見えたラーメンをいただいた。
Photo_2 早稲田駅は小さな丘が三つ重なりあう美しい自然の中にある。窓からは芽吹き始めた木樹がなだらかな曲線を描いているのが眺められた。
牧師もそうだが、他にも私を心にかけてくれる友は多くいる。そんな環境の中で迎えた誕生日なのだ。
今時間を持て余すと写真の整理をしている。その中で先日は敬友島崎光正氏が出てきた。その写真を氏がドイツで行なった挨拶とともにフェイスブックに掲載したのだが、その挨拶は氏の77歳の時もものだった。
81歳で召された島崎氏。私ももうじき召される時がくるだろう。
感謝と穏やかさを持ってその時を迎えられたらどんなにか嬉しい事か。今は受難節。イエスは絶望の言葉を発して十字架に死んだ。死は苦しみを同時に連れて来ることも覚えておかねばならない。

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