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2014年3月 2日 (日)

キタサンツバサ

一般の方にはキタサンツバサはなんだか見当がつかないだろう。これは競馬に出る馬の名である。
実は昨年亡くなったMさんが私に買うように頼んだ最後の馬がこのキタサンツバサだったのだ。そして、この馬が晴れやかな大井競馬場から今日は遠く佐賀競馬に移って出走していた。私はMさんの願いを聞くつもりで買ってみた。彼に少しでもつながっていたかったのである。結果は着外。
今日はMさんの「追悼文」をご紹介したい。

M先生の温もり
携帯電話が見知らぬ番号を受信したのは昨年の811日だった。いぶかりながら電話に出るとそれはあなたの甥御さんからで、あなたの入院の知らせだった。
直接電話ができない程に様態が悪いとは想像したくなかったが、それでも、お見舞いに行けない僕は、あなたが親しくしている何人かの友にだけは連絡しなければならない事態だと思った。誰でもよいとは考えなかった。なぜならあなたは晩年独りで病気や生活の重荷に耐えていたことを僕は知っていたからだった。
僕はほんの2,3名に連絡した。それはあなたが天に召された時も同じだ。大勢の方に知らせることをあなたが望むかどうか、いや迷惑になるかもしれないと危惧したのだった。
だが、この僕の認識は誤りだった。知らせはたちまちの内に広がり、入院先には思いがけない友が見舞っていたし、また、お別れの式にもそれは多くの仲間達が駆けつけたことからも知らされることになった。それほどにあなたは豊かに、強い交わりの根を生活の中で張り巡らせて生きておられたのだ。
振り返れば、その根は療護園の看護婦さんたちを始め、事務職の方々との交わり、学校の仲間との様々な活動の中でしっかりと強く、揺るぎないものになっていたのだろう。
そうだ。あなたは学校の中でいつもは聞き役に徹していたが、職場の平和が乱されそうな時には声をあげて見張りの役を引き受けてくれたことも僕は記憶している。組合用語を使い、相手を糾弾する姿勢をとるのではなく、しかし、良心と信念に基いて語るあなたの姿は美しかった。あなたはそうしてしっかりした太い根を教師仲間の中に張っていったのだ。
でもあなたの常態は音楽を愛し、人の温かさに触れ、未知なところへの好奇心に遊ぶところにあったのではないかと僕は思う。
夕方の体育館からはバレーボールに興じるPTAのお母さん方を交えて若い先生方の声や笑いが甲高く響いてきたものだが、その中にあなたが嬉々として指図する声も教官室にいた僕は聞いていた。しばらくすると、汗を拭き、顔を火照らせて「いやー、みんな、強い。もうだめ。」と言いながら満足そうな顔で一休みするために教官室に戻ってくるあなたに僕は年齢や教師―保護者という立場越えてつながる、皆に愛されているあなたを見たのだった。
この根は学校ばかりではなかったね。あなたは山谷にある教会のボランティアとしても働いた。そこは食事にも困る方々に弁当を提供する食堂だったが、僕があなたの活動の様子を尋ねても、「おばちゃん達と一緒に食事を渡すだけだよ」とあまり多くを語らなかった。でも僕は教会に連なる者の一人として、あなたが体の弱まりを抱きながら奉仕する姿に尊敬のこころを抱いていたのだ。
Mさん、あなたは目立たない樹だったが、その樹は広い長い確かな根を張って、様々なところで豊かに生きたのだったね。
もう、そろそろおしまいにしなければならないけど、最後にその根っ子の先にいた僕個人のことを書かせてもらうね。
あなたは同い年の1937年生まれ。僕より3年前に着任していた先輩だったのに僕はあなたを最も身近な人の一人と感じていた。こうしてお別れの辞を書くことを引き受けたのはあなたの最後の数年間に色濃くお付き合いさせてもらったという自負があるからなのだ。
山谷でのボランティアができなくなる程に体が弱ってからお互い体の不調を長時間電話で、包み隠さず打ち明けあったりして何度慰めあったことだろう。
そんな中で最後まであなたを支えたのは競馬だった。足を弱らせたら日常の生活できなくなるからと言って好きな馬券を買いに後楽園まで出かけることをあなたは止めなかった。穴馬券を見事に的中するあなたはここでも私の尊敬する友だった。
あなたは9月25日、神の元へと召され、見送りの式は9月30日、あなたにふさわしく大勢の友と、ご親族に見守られて執り行われた。その御身には沢山のお花と共に、楽譜、競馬新聞、黒のジャケットが添えられて。
Mさん、ありがとうございました。天国でもお馬さんと遊んでください。

 

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