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2014年1月10日 (金)

全てを失いし時に

出エジプト記の学びを続けている。篠崎キリスト教会というよいパートナーを与えられて一日一章読み進めることはありがたいことである。
今日はその10章、いなごと闇の災いのところ。ファラオの頑ななこころの故にイスラエルの民はモーセの導きによる旅に出ることができない。すると、「主はいなごを国中に満ちさせ10:14 いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。
10:15 いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。」その有り様は「4 かみ食らういなごの残したものを/移住するいなごが食らい/移住するいなごの残したものを/若いいなごが食らい/若いいなごの残したものを/食い荒らすいなごが食らった。」(ヨエル書)という。
ここを注釈して篠崎キリスト教会のホームページには「主に立ち返るためには、人は徹底的に打ち砕かれねばならない」とある。
これは厳しいメッセージであるが同時に救いの福音でもあるように私は思う。障害が重くなり、病状が極限状態になったときにそこに同時に神が現れてくださる。そう読んではいけないだろうか。
主イエスが十字架上で絶望の声をあげた時、そこに神は神殿の幕を裂けしめ人との中垣を取り除いたのだ。救いが来たのである。

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