« 介護と自分 | トップページ | 全てを失いし時に »

2014年1月 3日 (金)

神の秩序への介入

創世記の読みを終えて出エジプトに入った。読みの付添人は篠崎キリスト教会祈祷会である。同教会のホームページから祈祷会で語られた講解をダウンロードして出エジプト記を読み進めているわけである。

今日は8章。その最後でこうした説明がなされている。皆さんにもお読みいただきたく、ここに引用する。

創世記1:1-3「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」
・災いとはこの秩序を神が取り去られる行為なのだ。神が水を制御し、日を支配し、他の生き物を管理しておられる。この神の手が離れたとき、水は洪水となり、日は日照りや闇をもたらし、他の生き物は無秩序になる。
―エレミヤ4:23-26「私は見た。見よ、大地は混沌とし/空には光がなかった。私は見た。見よ、山は揺れ動き/すべての丘は震えていた。私は見た。見よ、人はうせ/空の鳥はことごとく逃げ去っていた。私は見た。見よ、実り豊かな地は荒れ野に変わり/町々はことごとく、主の御前に/主の激しい怒りによって打ち倒されていた。」
・人間は被造物でありながら自らが神に取って代わろうとする。その時、創造の秩序は崩され、地はあえぐ(今日の農薬や毒物等の環境災害、ウランやプルトニウムの廃棄の問題、受胎調節の問題等の根源はここにある)。何をなすべきか。自分の限界を知り、創造者を覚えることである。

|

« 介護と自分 | トップページ | 全てを失いし時に »

「信仰」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 介護と自分 | トップページ | 全てを失いし時に »