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2013年12月12日 (木)

体も差し出して

創世記の読みもいよいよ終盤にさしかかった。一人で神と信仰の先達たちとの旅をしてきた感がある。その道中ではたくさんのいただきものをしながら。
今朝は48章を読んだのだが、47章が少々気になるのでそのことを書いてみたい。
47章はエジプトでも飢饉が極めて激しく、民が生死をさまよう状態だったことを記している。その時、ヨセフは家畜を彼らに連れてこさせそれと引き換えに食料を与えたという。しかし、やがて又エジプト人は困窮し、最後には食料と引き換えに土地も自分の体も差し出してファラオの奴隷になることを申し出たのだった。
やがてその願いが叶うと人々はヨセフに「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。ご主君のご好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます」と言ったと聖書は告げる。
銀、家畜、体と農地。彼らは持てるものを全て差し出した。しかし、それで死を招くことはなかった。いや、それによって彼らは救われたのだった。
私たちにはここまでは捧げ尽くすことはできない。自分の所有にしがみついて命を守ろうとしている。
私たちに代わって全てを捧げた方、それがまもなくやってこられるイエス・キリストである。旧約の信仰の実現する日、それがクリスマスなのだ。

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