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2013年12月22日 (日)

神の愛が全てになる時

以前にも何度か紹介した北上市に住むOさんのメールをまた載せさせていただく。
今まで欠かさず教会への送迎をして下さった方が彼を介護できなくなったことを聞き、雪の中クリスマス礼拝に出席できるかどうか心配して送ったメールへの返事である。
私のそんな心配をよそに、彼は豊かな交流を周囲の人と持っていて、教会員宅のクリスマス祝会に行ったり、居酒屋で楽しんだりもして、その積極性には驚嘆するほかないのだが、その彼を支えたものは何なのかがよくわかるメールである。

今から50年前の寝たきりの生活を余儀なくしていた時「なぜ試練?」と何回か涙したことがあります。
私の今あるのは、その時の寝たきりの生活が力となっています。今は「寝たきりの10年間」が宝になっています。
要介護5、障害程度区分6でも居酒屋に出かけ仲間と焼酎、ハイボールに手を出しています。
試練を乗り越えた時、大きな神様の愛が働いているような気がします。私の力がゼロになった時、神様の愛は100になると信じています。
100パーセントの愛を受けるまで歩き続けたいと思っています。
明日はタクシーを予約しました。これから司会のお祈りの原稿を準備しいます。
良いクリスマスを!

100パーセントの愛を受けるまで、とは召される時までということだろう。
悲壮感もなくこう断言できる彼は強い。

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