« 「障がい者週間」の祈り | トップページ | 祈りを共有する友 »

2013年11月15日 (金)

主が共におられるなら

創世記を39章まで読み進んだ。ここは兄たちの策略でエジプトに売られてきたヨセフがファラオの宮廷で王の信頼を得て、財産管理など一切を任されるまでになったことが記されているところだ。そして、この章の随所に「主が共におられたので」とそこまでになった理由が挿入されていることに気づく。
ヨセフは王の妃に誘惑を受け、それを断ったがゆえに獄に繋がれることになるのだが、聖書はそこでも「主がおられたので」「 監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。」と述べている。
兄たちに敬遠され、エジプトへ売られ、また宮廷での信頼を失墜する、そして、獄中にいる、こうした困難、それは現代でもその姿こそ変わっても存在し続ける。我々障害をもつ高齢者にとっても然り。そのとき、主は共におられて我々を必要な人に変えてくださる、そう信じることができるだろうか。その信仰を神よ、与え給え。

|

« 「障がい者週間」の祈り | トップページ | 祈りを共有する友 »

「信仰」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「障がい者週間」の祈り | トップページ | 祈りを共有する友 »