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2013年10月11日 (金)

聖書に接する喜び

むくみの治療を始めてから今日は聖書を初めて開けた日。治療の効果が出始めて風船のようだった脚が直線を一部に持つ脚に変わってきているのである。

創世記30章。レアとラケルの姉妹がヤコブの愛を欲しくて争うところだ。「ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、『わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます』と言った。
30:2 ヤコブは激しく怒って、言った。『わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。』」と今日の聖書はいう。

今朝の新聞によると内閣では生殖医療に関しての法整備の分科会を設けるという。そこで精子提供、卵子提供、あるいは体外受精などで生まれる子どもに関しての法律的な位置づけをしようというのかもしれない。

子どもを持つことのできない体の人にとっては生殖医療は福音的な救いてなのかもしれない。だが、今日の聖書にある「お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」という御言葉が私には身近に感じられる。

障害を持って、それを持つ体を自分として受け入れて生きる多くの友を見る時、ある意味で制約があるその姿で生き合うことでいいのではないか・・・・。

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