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2013年10月

2013年10月24日 (木)

野球選手の髭

新しく西武球団の監督になった井原さんが選手の茶髪や髭を禁止したそうだ。お客さんはそんなものを観に来るのではないとか野球そのものへ選手の意識を集中させようという判断からそうなったらしい。
今どき、よくこんな指示を出したものだ。これは選手の人格の否定になると言ったら大げさだろうか。野球をしているのは個性を持った一人ひとりの人間だ。その人間の闘いだから面白いのだ。
どうも日本では個性は二の次になることが多い。今大リーグではワールドシリーズが始まって熱戦を展開している。このテレビ中継を見ていてつくづく感じるのはアメリカのテレビ局はプレイをしている人間を全面に押し出していることだ。ピッチャーの孤独な顔、監督の心配そうな表情、それがクローズアップされる。スタンドのお客さんの表情も豊かである。
それに比して、日本の中継はプレイの展開を知らせることが主眼になっている。
井原さんのように監督は選手の個性を拘束してもいい、それが許される、こんな風土の日本だからスポーツ界で未だ暴力的な指導が絶えないのだろう。

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2013年10月23日 (水)

入院しなくてもいいよ

診察予約時間より20分前、医師が呼んでくれた。いつもは予定時間が来てもそれから30分待つのだが、今日は特別だった。それだけ医師も今後の処置方法を早く決めたかったのだろう。
私はまず「お陰様で大変よくなました。体から水分が抜けてスッキリ見えませんか?」と先手を切った。入院をなるべくなら回避したかったのだ。「そう言われてもわかりませんね」と医師はもっともなことを言う。そして、浮腫んでいた足を触って、「いいですね」と続けた。

血液検査のデータもそんなに蛋白が減っているわけでもないし、肝硬変は確かにあるんですがこれでこんなに浮腫むようなデータでもないんですよ。一定時間横になるとかして利尿剤を使いながら様子を見てみますか。

こんな話を受け、結果入院はしないことにした。教会出席もやめて利尿剤使用に固執したことも話したのだが、全ての行事を止めなくても様子を見ながら服用していくこととなった。

上記の結果、リュックサックを解き始めている。入院に必要なものをあらかじめ用意しておいたのだ。下着類など寝室のどこにあるか若いものは知らないし、あれこれ指示しながら揃える時間も共有できないからである。

暇がいっぱいあるだろうから、本も必要だろう。だが、今私が楽しめる書籍はない。あるのは聖書だけである。ところが聖書は重くかさばる。
幸い、薄手の新約聖書があるので、これと「ヨハネ黙示録講解」だけをリュックサックに押し込んだ。
これも元の在処に戻そう。

夕べの祈り、今朝の祈りが聞かれたことに感謝。

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2013年10月18日 (金)

もうパジャマ

夕方5時。もうパジャマ姿になった。4時からの入浴が介助を受けて終わったのだ。1時間の契約になっているがそんなにかからないで済んでしまう。それは介助者の手際のよさにもよるが、私にまだ力が少し残っていることにもよるだろう。
まだ今日で5回めだがお互い要領がわかってきてスムーズにことが運んでいるのも大いに関係している。
浴槽に気の向くままに浸かっている時間は少なくなったが今までは2週に1回ほどしか洗わなかった頭を毎回洗うようになったし、痛む腕に負担をかけないで済むのがなんともありがたい。
風呂場を綺麗に片付け、脱いだものを丁寧に畳んで、介助者は「ありがとうございました」と言って帰って行った。

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2013年10月16日 (水)

募る心配

十年に一度の大型台風が来るとのこと。955ヘクトパスカルというこら確かに大型のようだ。地元の小学校、中学校も早くから休校を決めた。
私も昼間から書斎、寝室の雨戸を閉めた。
そうして夜を迎えた時、昔の「教え子」からCメールが届いた。車椅子で生活している女性である。大腸がんでオストメイトを使いながら普段は元気に生きている。先日など着物の展示会に京都まで出かけたという。

「台風です。雨がひどくなるというので明日の朝ヘルパーさんが来ません。朝来ないと一番困る。朝食は冷食だわ」

私 「一人は心細いですね。でもあなたなら大丈夫」

「私はしっかりしているように見られますがそうではないですよ」

こんな返事を見ながら私は眠りについた。
そして、今朝6時。ニュースでは台風の中心が東京を離れそうなようす。
こちらからメールを送る。

私 「大丈夫ですか。もう少しで収まります。被害がありませんように」

「ありがとうございます。二時頃まで眠れませんでした。今、起きました。大丈夫です。」

私 「よかったですね。今日一日お元気で」

「ありがとうございます。元気ですよ。ヘルパーさんも来てくれるそうです。陽がでてきましたので洗濯をします。もう大丈夫だとおもいます」

直ぐに行動のできない障害を持った人たち。多くの友が同じ思いを持ちながら一夜を過ごしたことだろう。

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2013年10月14日 (月)

教会の友

浮腫の治療のために昨日も教会を欠席した。年間一二度しか欠席しない者にとっては二週続けた休みは心に空虚感を覚える。
そんなときありがたいことに今日、昨日の説教が送られてきた。聴覚障害を持つTさんにパソコンで同時通訳をしているHさんがパソコンに残した記録を送ってくれたのだ。
Hさんは説教をTさんに伝えるだけでなく、司会者のお祈りや礼拝の進行状況も打ち込んでいる。また、午後の聖書を中心とした交わりの会のようすも知らせてくださった。
説教から力を受けるのは言うまでもないが、礼拝の様子を聞く恵みは司会者の祈り、献金者の祈りに自分が覚えられているという幸いに与れることである。
教会の交わりを主がこれからも、いや今こそ導いてくださいと祈る。

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2013年10月11日 (金)

聖書に接する喜び

むくみの治療を始めてから今日は聖書を初めて開けた日。治療の効果が出始めて風船のようだった脚が直線を一部に持つ脚に変わってきているのである。

創世記30章。レアとラケルの姉妹がヤコブの愛を欲しくて争うところだ。「ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、『わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます』と言った。
30:2 ヤコブは激しく怒って、言った。『わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。』」と今日の聖書はいう。

今朝の新聞によると内閣では生殖医療に関しての法整備の分科会を設けるという。そこで精子提供、卵子提供、あるいは体外受精などで生まれる子どもに関しての法律的な位置づけをしようというのかもしれない。

子どもを持つことのできない体の人にとっては生殖医療は福音的な救いてなのかもしれない。だが、今日の聖書にある「お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」という御言葉が私には身近に感じられる。

障害を持って、それを持つ体を自分として受け入れて生きる多くの友を見る時、ある意味で制約があるその姿で生き合うことでいいのではないか・・・・。

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2013年10月 8日 (火)

大事な足なのに

土曜日から右のふくらはぎから水が出るようになってしまった。シーツがおしっこをしたように濡れていた。もう浮腫が限界に来ている。左も同様になってもおかしくはない。

昨日病院で入院を打診されたが、しばらく薬で自宅治療を試みることにした。おしっこをいっぱい出して経過を視るのだ。これでだめなら入院となる。

利尿剤を使うと外出や来客の応対は難しい。教会もしばらく休み、句会も中止にしてもらった。

右足はかすかに機能を残す大事な足である。ベッドへの移乗などこの残された機能を使ってしている私の生活。なんとかよくなってもう少しの間私を支えてもらいたいものだ。

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2013年10月 5日 (土)

30分の短縮

初めての入浴介助を受けた。いつも通院で利用している事業者だったので気心は知っていたが、入浴介助はどんなものかと心配したが淡々と進んだ。
妻がいなくなってから背中を流してもらうことなど全くなかったが昨日はそんな快感も味わうことができた。
最も大きな課題だった右手への負担も介助によって大幅に減った。
通常120分の入浴時間が50分になったのだが、入浴後の爽快感を味わえたことは時間短縮以上にありがたいことだった。

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2013年10月 4日 (金)

わたしはあなたと共にいる

創世記の通読は少しずつですが進んでいます。今朝は28章を読みました。ここはヤコブが結婚相手探しに旅に出たことを記しています。
しかし、私はこの箇所の主題から離れますが次の二箇所に捕われました。
1,イサクは出立するヤコブにこう命じます。「 どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように。」
イサクとその家族が住むところを「寄留している」というのです。私たちは神のところへ旅をする民である、それは出エジプトから始まり、今も続いている。住んでいる土地を離れ、あるいは死しても一時の寄留の場所から移動するに過ぎない、こう理解できましょう。
2, 「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
神様が「わたしはあなたと共にいる」とおっしゃる、その幸せの中にわたしたちは生きている。これは感謝以外のなにものでもありません。

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2013年10月 2日 (水)

入浴介助

一人で頑張るのをやめにした。限界と悟ったからである。
入浴の話である。衣服を脱ぐのはまだよいのだが、脱いでから洗い場への移動、痛む右手での身体清掃、浴槽へ体の向きを変える動作、これをやるのがきつくなってしまった。
浴槽から上がり、また体の位置を変え、脱衣場へ帰るのも入る時以上に厳しい。そして、濡れた体に下着を着けるときの労力といったらもういやになるほどである。
やってできないことはない。しかし、その夜、翌朝、腕の痛みに耐えるのはもうよそうと思うのだ。
今朝、ケアマネジャーと事業者が来て、週二回の入浴介助の契約を結んだ。夕方にはもう風呂に入らねばならないとか相手の都合によっては女性の介助になることもあるとのことだが、小は捨て、まず始めてみよう。こんな決心をした私である。

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