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2013年9月11日 (水)

主がなさることですから

『24:48 わたしはひざまずいて主を伏し拝み、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、主人の子息のために、ほかならぬ主人の一族のお嬢さまを迎えることができるように、わたしの旅路をまことをもって導いてくださいました。
24:49 あなたがたが、今、わたしの主人に慈しみとまことを示してくださるおつもりならば、そうおっしゃってください。そうでなければ、そうとおっしゃってください。それによって、わたしは進退を決めたいと存じます。」
24:50 ラバンとベトエルは答えた。「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。
24:51 リベカはここにおります。どうぞお連れください。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください。」』(創世記24章)

ここはイサクの嫁を探すためにアブラハムの下僕がアブラハムの故郷にやってきた場面である。そして、リベカという娘をいただけるかどうか親(ベトエル)や兄(ラバン)に意向を聞いている。 
今朝の聖書で感動するのはこの二人の答えだ。。「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。」

人生には喜びも悲しみもある。重要な決定を迫られるとこもある。その時、目の前に起こっていることにこう答えて主に従うことができようか。それは日常の信仰生活にかかっている。
 

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