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2013年9月18日 (水)

さようなら ライアン

朝に晩に聞こえていたライアンの声が聞こえない。台風一過の快晴の朝なのにライアンの声が庭にない。

 ライアンは土曜日の朝、死んだのだ。いつもの小屋の前で。

 前の晩、長男が「ライアンがだいぶ弱っているよ」とふとつぶやいた。私は一日中家にいるからよくわかるのだが、その日、ライアンの鳴き声は痛みを訴える声から最期を生きる声に変わっていた。だから、金曜日のベッドでは、もしライアンが亡くなったらきっと保健所に渡すことなく、長男は庭に墓を造るであろうから、そして、その前で小さな悲しみの儀を行なうだろうから、その場で「とうちゃん、なにかお祈りをして」と言われたらどう祈ろうかと思い巡らしながら眠りについたのだった。

 

 ライアンがしきりに鳴くようになったのはこの一週間の間だった。水曜日には痛みに耐えることができないように朝から鳴いた。呻くように鳴いた。私はあまりに可愛そうで動物病院に電話した。すると院長は「ライアンちゃんも一五歳ですから無理ないんですよ。皆、この歳になると腰が痛くなって歩けなくなります。希望なら痛み止めをお持ちしましょう」と話してくれた。そして、その夜は薬を飲ませたのだった。

 明くる日、出勤前、いつものように長男はおしっこにライアンを道端のニラの花がいっぱい咲く畑まで連れて行った。その時も何年も使ってきた紐ではなく、腰の負担を減じる特別なベルトを使い、腰を支えながら歩かせたようだ。その時のライアンは「楽そうに歩いていたよ」とのことだ。

 実はこの特殊ベルトは休暇をとっていた彼が二三日前にホームセンターで買ってきたものだ。その日は天気のよい日だったが、彼は昼間、ライアンを抱きかかえて玄関から入ってきて、風呂場へ向かった。毛もだいぶ傷んでいるライアンをぬるま湯を使で洗ってあげたのかもしれない。風呂場からはライアンの甘えるような鳴き声が聞こえた。ライアンはタオルで拭いてもらってベルトを付けられたのだった。

 このベルトのままライアンは逝った。

 

 ライアンが我が家にきたのはまだ毬のように小さく、丸い時だった。浅いダンボールの箱に入れても出られないくらい小さかった。長男の職場に迷い込んだ子犬を連れてきたのだ。

 庭に毬のような子犬には不釣合いの大きな小屋が用意され、そこには「ライアン」とまたこれも不釣合いの名が書かれた。

 だが、ライアンは自分が世の支配者であるとばかりに庭に入り込む猫に激しく立ち向かい、吠え立てた。道をゆく散歩の犬にも朝夕吠え続けた。

 この小さな命は子どもたちにも愛された。

 孫たちの保育園時代から親しく交わりのあるKさん家族とは特に関係が深く、そこの子どもたちは、家の前を通るときには「おい、ライアン」と呼び捨てに頭を叩いてくれたし、私の孫たちも「わたしの家族」の絵を描いた時、「きんぎょ」と一緒に「ライアン」も入れたのだった。

 だが、日中の世話はもっぱら妻が引き受けて、散歩、おしっこなどはやっていた。

時々は紐を放って自由に遊ばせてやったりもした。その時には東に広がる畑中を縦横に駆けまわり、わたしなど畑の持ち主からの苦情を気にしたものだ。だが、ライアンはひと暴れするとやがて妻の元に帰ってきて、またおとなしく首輪に収まった。

 この妻が癌で逝ってしまってライアンは独りぼっちになることが多くなった。私は句帳にこう記した。

冬の陽や残されし犬庭に鳴く

ある日から日中は独りで玄関脇に座っていることが多くなった。私は書斎の作業が疲れると戸を開けて車椅子でライアンに近づき声をかけて遊んだ。頭をなでたり、首筋をこすってあげるとなされるがままにしていたが、手を離すともう私には目もくれずまた寝そべっているライアンだった。それでも話し相手を失った私はライアンに何かと声をかけたものだ。

ただいま、と犬にあいさつ秋の午後

 

 妻亡き後、ライアンは二人の方と特別の関係ができた。一人は私の車の販売店店長のお母さんであるMさん。近くにお住まいで買い物への行き帰り我が家の前を通るのだ。Mさんはあらかじめライアンの好物(といってもスルメが多かったようだが)を用意して敷地に入ってくる。ライアンもすぐにそれと分かって甘え声を出す。「いい子ね。よくカンカンするのよ」と話しかけながらMさんはしばらくライアンのお相手をしたものだ。

 もう一人は先ほどのKさんのご主人である。ちょっとした不注意で転倒し一時は社会復帰が危ぶまれるほどのダメージを被ったKさん。そのKさんが退院後にリハビリと運動を兼ねてライアンを散歩に連れて行ってくれたのだ。土日休日、彼が畑一つ隔てた家の玄関を出ると、ライアンは落ち着かず、円をかいて歩きまわりKさんが来るのを待った。家の中にいてもライアンの声を聞くとKさんが来ることがそれとなく察せられたが、間もなくして「ライアンを借りて行くよ」の声が庭に響くのだった。

 

 ライアンの墓は庭の隅に設けられた。そこはかつて妻が次男から贈ってもらって大事にしていた紫陽花「墨田の花火」が植えられていたところだ。

 長男は亡骸を小屋の前から両手で持ちあげて運び、ゆっくりと地に入れた。そして、丁寧に土を何度も何度も押さえ、押さえて葬った。レンガを何枚か用いて記念の碑を形作った。孫のヒカちゃんが「ライアン」と板に名を記し、首輪と綺麗に洗った真っ白な餌皿が配された。私は元気だった頃のライアンの写真をプリントして彼に渡した。

 長男はその墓の前にしゃがみこんでしばし頭を垂れていた。私の祈りは必要ないようであった。ヒカちゃんとママも沈黙したまま墓を見続けた。私は体いっぱいに秋の陽が当たる居間から窓を開け放ってそれらを見守っていたのだが、心ではライアンが作ってくれた豊かな世界を感謝し、主として最後まで世話を続けた長男を支えてくださいと涙のうち神に祈っていた。

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