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2013年9月

2013年9月30日 (月)

日々新なるもの

ベッドで昼間寝そべっていて思った。このカーテンもだいぶ色あせしたのだろうなと。16年前の新築時のままのカーテンである。毎日見ていると気づかないのだが、きっとこの緑色も最初はもっと鮮やかだったはずだ。だが、少し値の張るものを使ったので今でもしっかりしているから替える気は毛頭ない。

カーテンに限らずいろいろなものが時間の経過とともに変化していく。友が去り、妻が毎日の生活の中から消え、私の体もどうしようもなく重いものになってしまった。

そうした中で、聖日毎に聞く、神の言葉だけはその新鮮さを失わないのはどうしてだろう。私の時間系列の範囲だけでなく、長い歴史の中で、神の言葉に触れた者は接する度にその新しさに驚き、こころを震わされたはずだ。

人は変わり、世は変わっても私の言葉はすたれることはない、こんな聖句がどこかにあったような気もする。それを実感するこの頃である。

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2013年9月27日 (金)

友逝く

Mさんが逝ってしまった。一昨日の夕刻だという。
今日は秋の陽がいっぱいのよい日である。空も澄み渡っている。いつかの運動会の日のように。
その運動会の日。私は見学に来たやがて妻になる人から、それからの交際を続けるかどうかの決断を迫る手紙を手渡されたのだった。私はその日の夜、当直だったMさんに便箋をひろげ、真っ先に打ち明けた思いがある。
その後も同い年の彼はよき話し相手として職場での交わりを持ってきた。
一面、彼は私にはない、モダンで世間通な一面を持っている男だった。出勤時にはプレイボーイなどの雑誌を半折にして、さっそうと職員室に入って来る姿は格好よかったものだ。
  
独り身の彼は定年を余して退職し、世界の各地を旅して回ったようだ。だが、年齢を重ねるに従い、移動の範囲は狭まり、つい最近までは山谷にある教会で夕食炊き出しのボランティアをしたのだったが、体力の衰えとともにそれもできなくなり、最後には自分の食事の用意も大変だとこぼすまでになった。そんな彼と土曜日の夜は競馬と身の上談義を延々としたのだったが、もうそれも叶わぬ境地へと彼は行ってしまった。

夕べ甥御さんからのお知らせを受け、私は彼が築いた豊かな人脈を辿って彼の死を伝え続けた。数々の思い出と悲しみと感謝をその言葉に載せながら。
Mさん、ありがとう。神様、Mさんを懇ろに受け入れてください。お願いします。
 
 

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2013年9月22日 (日)

体を献げる 礼拝の祈り

 いつも共にいて私たちを守り、導いてくださる恵み深き父なる神様。あなたの元に今朝もこうして集わせてくださいましたことに心から感謝します。
 こうしてあなたに聖日ごとに礼拝を献げることが許されていることに心から感謝する者でありますように。そして、私たちが持てるもの全てを献げて礼拝ができますように。
 
かつてアブラハムがイサクを献げて礼拝をしようとした時、あなたは子羊を用意してアブラハムを祝しました。
 
私たちも体と時間とあなたからいただいている物を献げ尽くしてこの時を過ごすことができますようお導きください。
 全国で時を同じくして献げられている礼拝もあなたの御手に中にありますように。特に、先の震災で会堂もまだ整わない東北の教会の兄弟姉妹を励ましてください。
 
神様、私たちは午後には一日研修会を持って、あなたに生かされている生活を共に分かち合う時を持とうとしています。どうぞ、あなたがその場に臨んで会を導き、証する者を励まし、導いてください。
 神様、この恵みの礼拝に集うことが許されない多くの兄弟姉妹がおられます。どうぞ、あなたが直接その場に臨んで一人ひとりを励まし、お支えくださいますように。
 これからあなたのみ言葉を取り次ぐ先生をあなたの力で導き、支えてください。
 この心からの祈り、感謝、願いを私たちを贖ってくださった主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。  アーメン

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2013年9月19日 (木)

出来るということの誘惑

我が家に55インチのテレビが入った。なんせ大きい。相撲を見ていると桟敷にいる錯覚に陥ると言ったら大げさだろうか。

このテレビは単なるテレビではない。インターネット接続で買い物やネット検索もできるし、ツタヤから映像を購入して好きな映画も見ることができる。

多くのことができるとなるとついそれをやってみたくなるのが私の悪いところである。
先日、ツタヤTVとはどんなものか試したくなった。別に映画に興味が有るわけではないのだが、どんなものか知りたいのだった。
残念?ながらダウンロード速度が十分でなくぎこちなく動く映像しか見られないので縁を切った。

世間にも同じ人間が多く見受けられる。科学者という人種もその一人である。特に気になるのは生科学に携わる人たちだ。彼らは動物の体内で人間の臓器になる細胞を造ろうとしたり、なにやらできることはなんでもやってみようとしているようだ。これも人間に「出来る力」があるからだろう。

できることとやるべきこと、やっていいこととは違う。テレビの遊びぐらいは多少はみ出してもかまわないが、人間倫理はそうはいかない。将来、人間の本質がバラバラにならないように科学者はもう一度自分たちのやっていることを確認したらどうだろうか。

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2013年9月18日 (水)

さようなら ライアン

朝に晩に聞こえていたライアンの声が聞こえない。台風一過の快晴の朝なのにライアンの声が庭にない。

 ライアンは土曜日の朝、死んだのだ。いつもの小屋の前で。

 前の晩、長男が「ライアンがだいぶ弱っているよ」とふとつぶやいた。私は一日中家にいるからよくわかるのだが、その日、ライアンの鳴き声は痛みを訴える声から最期を生きる声に変わっていた。だから、金曜日のベッドでは、もしライアンが亡くなったらきっと保健所に渡すことなく、長男は庭に墓を造るであろうから、そして、その前で小さな悲しみの儀を行なうだろうから、その場で「とうちゃん、なにかお祈りをして」と言われたらどう祈ろうかと思い巡らしながら眠りについたのだった。

 

 ライアンがしきりに鳴くようになったのはこの一週間の間だった。水曜日には痛みに耐えることができないように朝から鳴いた。呻くように鳴いた。私はあまりに可愛そうで動物病院に電話した。すると院長は「ライアンちゃんも一五歳ですから無理ないんですよ。皆、この歳になると腰が痛くなって歩けなくなります。希望なら痛み止めをお持ちしましょう」と話してくれた。そして、その夜は薬を飲ませたのだった。

 明くる日、出勤前、いつものように長男はおしっこにライアンを道端のニラの花がいっぱい咲く畑まで連れて行った。その時も何年も使ってきた紐ではなく、腰の負担を減じる特別なベルトを使い、腰を支えながら歩かせたようだ。その時のライアンは「楽そうに歩いていたよ」とのことだ。

 実はこの特殊ベルトは休暇をとっていた彼が二三日前にホームセンターで買ってきたものだ。その日は天気のよい日だったが、彼は昼間、ライアンを抱きかかえて玄関から入ってきて、風呂場へ向かった。毛もだいぶ傷んでいるライアンをぬるま湯を使で洗ってあげたのかもしれない。風呂場からはライアンの甘えるような鳴き声が聞こえた。ライアンはタオルで拭いてもらってベルトを付けられたのだった。

 このベルトのままライアンは逝った。

 

 ライアンが我が家にきたのはまだ毬のように小さく、丸い時だった。浅いダンボールの箱に入れても出られないくらい小さかった。長男の職場に迷い込んだ子犬を連れてきたのだ。

 庭に毬のような子犬には不釣合いの大きな小屋が用意され、そこには「ライアン」とまたこれも不釣合いの名が書かれた。

 だが、ライアンは自分が世の支配者であるとばかりに庭に入り込む猫に激しく立ち向かい、吠え立てた。道をゆく散歩の犬にも朝夕吠え続けた。

 この小さな命は子どもたちにも愛された。

 孫たちの保育園時代から親しく交わりのあるKさん家族とは特に関係が深く、そこの子どもたちは、家の前を通るときには「おい、ライアン」と呼び捨てに頭を叩いてくれたし、私の孫たちも「わたしの家族」の絵を描いた時、「きんぎょ」と一緒に「ライアン」も入れたのだった。

 だが、日中の世話はもっぱら妻が引き受けて、散歩、おしっこなどはやっていた。

時々は紐を放って自由に遊ばせてやったりもした。その時には東に広がる畑中を縦横に駆けまわり、わたしなど畑の持ち主からの苦情を気にしたものだ。だが、ライアンはひと暴れするとやがて妻の元に帰ってきて、またおとなしく首輪に収まった。

 この妻が癌で逝ってしまってライアンは独りぼっちになることが多くなった。私は句帳にこう記した。

冬の陽や残されし犬庭に鳴く

ある日から日中は独りで玄関脇に座っていることが多くなった。私は書斎の作業が疲れると戸を開けて車椅子でライアンに近づき声をかけて遊んだ。頭をなでたり、首筋をこすってあげるとなされるがままにしていたが、手を離すともう私には目もくれずまた寝そべっているライアンだった。それでも話し相手を失った私はライアンに何かと声をかけたものだ。

ただいま、と犬にあいさつ秋の午後

 

 妻亡き後、ライアンは二人の方と特別の関係ができた。一人は私の車の販売店店長のお母さんであるMさん。近くにお住まいで買い物への行き帰り我が家の前を通るのだ。Mさんはあらかじめライアンの好物(といってもスルメが多かったようだが)を用意して敷地に入ってくる。ライアンもすぐにそれと分かって甘え声を出す。「いい子ね。よくカンカンするのよ」と話しかけながらMさんはしばらくライアンのお相手をしたものだ。

 もう一人は先ほどのKさんのご主人である。ちょっとした不注意で転倒し一時は社会復帰が危ぶまれるほどのダメージを被ったKさん。そのKさんが退院後にリハビリと運動を兼ねてライアンを散歩に連れて行ってくれたのだ。土日休日、彼が畑一つ隔てた家の玄関を出ると、ライアンは落ち着かず、円をかいて歩きまわりKさんが来るのを待った。家の中にいてもライアンの声を聞くとKさんが来ることがそれとなく察せられたが、間もなくして「ライアンを借りて行くよ」の声が庭に響くのだった。

 

 ライアンの墓は庭の隅に設けられた。そこはかつて妻が次男から贈ってもらって大事にしていた紫陽花「墨田の花火」が植えられていたところだ。

 長男は亡骸を小屋の前から両手で持ちあげて運び、ゆっくりと地に入れた。そして、丁寧に土を何度も何度も押さえ、押さえて葬った。レンガを何枚か用いて記念の碑を形作った。孫のヒカちゃんが「ライアン」と板に名を記し、首輪と綺麗に洗った真っ白な餌皿が配された。私は元気だった頃のライアンの写真をプリントして彼に渡した。

 長男はその墓の前にしゃがみこんでしばし頭を垂れていた。私の祈りは必要ないようであった。ヒカちゃんとママも沈黙したまま墓を見続けた。私は体いっぱいに秋の陽が当たる居間から窓を開け放ってそれらを見守っていたのだが、心ではライアンが作ってくれた豊かな世界を感謝し、主として最後まで世話を続けた長男を支えてくださいと涙のうち神に祈っていた。

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2013年9月13日 (金)

介護認定

一年に一度、介護保険を受けているものは体の状態を再認定されることになっている。今朝はそのことで一時間ほど認定委員と過ごした。
認定項目が定められているらしく恐縮しながら認定員は氏名、生年月日、今の季節などを尋ねたのだが、それでもこの時間はある意味よい時となった。
それは今の私がどうやって生活しているかを詳細に話す機会となったからである。寝ることの大変さ、日常の諸動作の苦労、それらをつぶさに聞かれるままに話すことができたのだ。
トイレの苦労など誰にも日常では話せない。パンツをあげるのに多くの時間をかけることなどでも同様である。
認定員はうなずきながら、関心を持ってじっくりと聞き役に回ってくれたのだった。
話す、聞く、現代はこんな当たり前の人間の業が希薄になっている。

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2013年9月11日 (水)

主がなさることですから

『24:48 わたしはひざまずいて主を伏し拝み、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、主人の子息のために、ほかならぬ主人の一族のお嬢さまを迎えることができるように、わたしの旅路をまことをもって導いてくださいました。
24:49 あなたがたが、今、わたしの主人に慈しみとまことを示してくださるおつもりならば、そうおっしゃってください。そうでなければ、そうとおっしゃってください。それによって、わたしは進退を決めたいと存じます。」
24:50 ラバンとベトエルは答えた。「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。
24:51 リベカはここにおります。どうぞお連れください。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください。」』(創世記24章)

ここはイサクの嫁を探すためにアブラハムの下僕がアブラハムの故郷にやってきた場面である。そして、リベカという娘をいただけるかどうか親(ベトエル)や兄(ラバン)に意向を聞いている。 
今朝の聖書で感動するのはこの二人の答えだ。。「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。」

人生には喜びも悲しみもある。重要な決定を迫られるとこもある。その時、目の前に起こっていることにこう答えて主に従うことができようか。それは日常の信仰生活にかかっている。
 

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2013年9月 9日 (月)

体ー神の神殿

創世記23章。アブラハムの愛するサラが死んだ。アブラハムは土地を買い、丁重に彼女を葬った。
信仰ではとかく体が軽視されがちである。聖書の人物さえ心で救われているのだから体は人格とは別物であると言って放蕩にふけったことがあった。
パウロはそれを厳しく正していた。

6:19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。(第一コリント書)

アブラハムは神の恵みを現したサラを尊び見知らぬ土地で墓を買い取り葬ったのだった。

もうじき永眠者記念礼拝の時が来る。神を証した姉妹兄弟を思い、感謝の礼拝を献げよう。

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2013年9月 6日 (金)

主が共に居て

今日の聖書は創世記22章。アブラハムが息子イサクを神に捧げるよう言われる箇所である。佐藤陽二氏の聖書講解に従って読み進めているのだが、講解を聞く前にまず聖書を音読する。
そして気付いたこと二つ。
アブラハムはイサクと二人だけで山に入る時若者にこう言っている。
「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
私が注目したのは「礼拝」という言葉である。アブラハムは息子イサクを献げるために行くのだが、それが「礼拝」だというのだ。そう言えば旧約聖書に示される礼拝はいつも犠牲を献げることを意味していた。
今私たちは何を献げる礼拝をしているだろうか。このことは真剣に問われていい。
二点目。
22:6 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
22:7 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。
ここで太字にした部分。イサクに呼びかけられたアブラハムが「ここにいる」と答えたところだ。
困難に遭いそうな時、不安を抱く時、私たちも「イエス様」と呼びかけたらいい。主は「ここにいる」とおっしゃるに違いない。

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