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2013年8月

2013年8月30日 (金)

適応力の低下

11時過ぎに寝たのに、1時に目覚めてしまった。その速さに驚きつつもまた眠ったらしい。そして、次に目覚めて時計を見ると、まだ2時である。そして、3時。
もう寝ないでラジオをつけた。あいにく、電池が寿命だったらしく、ラジオ深夜便が聞けなくなった。
それにしても部屋の暑さはなんだろう。いや、部屋ではなく自分の体の熱かもしれない。昨日水分の摂取量がそんなに少なかったろうか。二階に休む若い者を呼んで、冷蔵庫から氷を取ってきてもらおうか。でも、深夜それもはばかられる。
熱を計る。6.7℃。
やはり部屋の温度が高いのかもしれない。
電池を替えて4時まで深夜便を聞いたらしい。4時からの番組は記憶にない。
5時。再度目覚める。テレビでは気象情報を流していた。低気圧が日本海側にあって、そこに暖気が流れ込んでいるという。
これでようやく納得した。
それにしてもこれくらいの環境の変化に適応していけない体になっている自分に同情する。

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2013年8月26日 (月)

聞かれた願い

主に感謝します。あなたは友を守り、多くの人の願いを聞き入れ、友を目覚めさせてくださいました。まだその口には呼吸を助ける管が入っていますが、友は周囲の問いかけに首を振って応えるまでに回復しました。
あなたは応えたもう神でおられます。人の苦しみ、悲しみを背負い、共に歩んでくださるお方であることを私は知っています。しかし、あなたにはあなたの計り知れないご計画がおありです。それは私たちの願いや現実を超えたものです。その中に私どもは繰り込まれて御国への旅をしております。
その共なる旅の一人ひとりをあなたは愛してくださり、時に応じて私たちの声を聞き入れてくださいます。
どうぞ、御心ならば、今病床にある友をもう一度ピアノのある部屋に帰し、その指で音楽を奏でさせてください。もう一度競馬の楽しさを味あわせてください。多くの友人との交わりを取り戻させてください。
十字架のイエスの名によって祈ります。

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2013年8月22日 (木)

6時30分のNHKニュース

ニュース報道は項目を読み上げるように淡々と流れていった。福島東京電力原子力発電所で汚染水が高濃度のまま海へ流れていること、国防会議が背広組から制服組中心となること、国家機密保護を厳格にし、違反者の刑罰を重度化すること、それらが機械が読み上げるような調子で流されていったのだ。
そして、昨日の高校野球の話題が今度は嬉々として取り上げられた。今日はその決勝戦であることを思えば十分その取り扱いには納得する。

平和な世界で皆が野球やサッカーを楽しんでいるその裏では政治家の国家権力拡張の企みが日夜行われているようだ。報道機関もその危険性を無視している。

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2013年8月19日 (月)

友よ、帰れ

無二の親友Mさんが入院して一週間が過ぎた。昨日入った情報によれば先週半ば、誤嚥を起こして、今眠っているという。眠っているとはどんな状況なのか正確なことは分からない。独り身で、親族と私の交流は全くないから確認しようがないのだ。

Mさんは今私がもっとも遠慮無く語り合える友人の一人である。お互いその日の便通の様子を話したり、家族関係の悩みなども披瀝しあう。二人共足の浮腫に悩むのでそのことも長い間何かにつけて対処法を話題にしているのだが、いつぞや彼が利尿剤の使用法を誤って病院で失禁してしまった時など他の人には話せないけど、と言って教えてくれたのだった。

最近とみに食欲がなくなっていたのだが何か食べないといけないと言いつつ暑い中買い物にも行っていたらしい。また、好きな競馬があるから後楽園まで出かけるお陰でかろうじて足の運動もできているとも言っていた。

今、病院にいて誰の介護を受けているのだろう。それを思うと気の毒でならないが、訪ねる人はないのかもしれない。

Mさん、今へばってしまってはダメだ。もう一度、家に帰ってくれ。あなたを頼りにしている者を置いていくな。

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2013年8月12日 (月)

住む世界の変化

携帯電話に知らないナンバーの着信があった。用心しながら受けるとそれは親友の甥御さんだった。叔父さんに私に入院を知らせるよう頼まれたという。この叔父さんなる人は職場の友であったし、今は競馬の話を土曜日の夜には1時間交わす男である。独り者で、しかも最近はとみに体力が落ち、胃腸の具合も悪く、電話の中身は競馬よりも体のことが多くなっていた。
今週は重賞も多いので早く帰宅して欲しいが、じっくり体調を整えて欲しいとも思う。

以前入院中の部屋から電話をしてきたH氏も最近では電話もできない人になってしまった。転院しリハビリに期待したのだが、家族や友人の識別も今ではできないらしい。

こうして皆住む場所を移している。妻も、教会役員だったT氏も天国へと移っていった。

私の住むところは物理的には変わりないが環境は大きく変わっている。言葉によるつながりのない、乾いた世界。

だが、思う。アブラムは神によって世界を変えるように命じられたのだった。安住の地を移し、新地を目指して出かけたのだった。そこには神の用意した新しい世界が待っていた。
人はきっとこのように場所を変えて生きる者なのだ。問題はそこで神の愛があることを信じて生きるかどうかにかかっている。

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2013年8月11日 (日)

祈り

父なる神様。ありがとうございます。今朝もこうしてあなたの愛に抱かれて教会に集うことができました。また、過ぐる一週間、それぞれの場所であなたに支えられて歩むことができたことも感謝いたします。

神様、あなたは御国の実現のために人をお造りになりました。あなたに似せてよいものとしてお造りになりました。しかし、私たちはあなたのご意思に背き続けました。幾度もあなたは救いのチャンスをお与えになりましたが、私たちは自分の力を優先し、それにより頼んであなたを受け入れませんでした。

今も私たちは同じことを繰り返しています。政治の世界ではますます軍事力が大手を振るおうとしています。経済の世界でも強さが尊ばれています。

神様、その中にあってもあなたは私たちを愛していてくださいます。御ひとり子、イエスを、十字架に掛けられ、私たちの罪を全て背負わせてくださいました。

どうぞ、神様、今朝もあなたのその愛に、あなたの御心に触れるときとしてこの礼拝を用い、導いてください。

あなたのその御心を伝える先生を豊かに祝してくださいますように。

ここに集えず、聖書の言葉に友と一緒に聞き、また賛美の声を共にできない、ここに集えない友の上に恵みをお与えください。

 これらの願い、祈りを共に集う兄弟姉妹の祈りとともに主イエスの名によって御前に捧げます。  アーメン

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2013年8月 9日 (金)

旧約の語りかけ

最近の日課の一つは創世記に聞くことです。昼のニュースを見て、タモリの「笑っていいとも」、小堺さんの「ごきげんよう」が終わると机に向かいます。

聖書を読むには仲介者が必要です。この度創世記を読み続ける喜びに与れるのもよい仲介者が与えられたからでした。それは佐藤陽二著「創世記講解」。
佐藤陽二氏は昔、国立身体障害者更生指導所に入所中にお世話になった牧師さんですが、先生は障害を持つ人達を愛し、信仰に導きました。しかし、そればかりでなくアメリカのいくつかの神学校で教え、たくさんの本も著しています。

創世記には神様の愛が満ちていることをこの本は繰り返して語りかけてきます。主のご意思がどこにあるかも明確にしてくれます。
昨日読んだ箇所はアブラムの召命でしたが、アブラムが神の命令によって故郷を捨て、新しい土地に向かうくだりを講解する中で、先生は「出て」、「別れ」、「離れ」とはあらゆる場所で、人間中心から神中心に変わることである、と解きました。

こうして旧約が生きた言葉となって日毎に私に迫っています。

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2013年8月 5日 (月)

神の平和

昨日は日本基督教団の定める平和聖日。説教は二箇所の聖句を用いてなされた。
旧約聖書哀歌2章20節から22節。「2:20 主よ、目を留めてよく見てください。これほど懲らしめられた者がありましょうか。女がその胎の実を/育てた子を食い物にしているのです。祭司や預言者が/主の聖所で殺されているのです。
2:21 街では老人も子供も地に倒れ伏し/おとめも若者も剣にかかって死にました。あなたは、ついに怒り/殺し、屠って容赦されませんでした。
2:22 祭りの日のように声をあげて脅かす者らを呼び/わたしを包囲させられました。主が怒りを発したこの日に/逃げのびた者も生き残った者もなく/わたしが養い育てた子らは/ことごとく敵に滅ぼされてしまいました。」
ここはバビロニアがユダに攻め込み、街を蹂躙している様子を書いている。食べ物がなくなり、ついに子どもまで食いものにされている。こんな悲惨な、想像を絶することがあろうか。
しかし、現実を見るに、今地球ではこの世の力が権力を振るい、核が世界を支配し、軍事力が国を守る同士として大手を広げつつある。かつて犯した罪への反省はまったくなされようとしない。バビロニアの力の横暴さを見る思いがする。
さて、もう一箇所の聖書。それは出エジプト記22章20~26。
ここでは寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。 寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。と神はおっしゃっている。また、貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。とも言う。
そして、「もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。」と終わる。
現在、私たちは自分の上にも、隣人の身にも、また社会の姿にも多くの苦しみ、矛盾、痛みを見ている。そして、何故これが解決されないのか、正義は失せたのかと問う。牧師はこの苦しみを問い続けることが必要だと説いた。なぜなら神はその声に耳を傾ける方であるからだ。哀歌のように「なにゆえに」と問い続けながら、信仰生活を続けたい。

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2013年8月 1日 (木)

「王宮」住人からの応答

先日写真付きで紹介した友からメールをいただいた。私だけで読むのは惜しいので彼には断りなしでここに転載する。

「そんな牧師、いないわよ」を読みました。シャワーを浴びて良かったですね。
「そんな牧師」、いるかもしれませんが多くはいません。
わたしたちは少ない人たちの応援で生きています。少ない声、少ない優しさ、思いやり、親切、支援。
「王宮」の庭の草を、先日近所の自治会の3人がきれいに刈ってくれました。
少ない人たちの応援ですが、大きな恵みが、愛があります。感謝です。

素敵なお話ありがとうございました。

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