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2013年7月

2013年7月31日 (水)

教会に覚えられて

facebookには写真も掲載しましたが、ここではfacebookを見られない方のために記事だけを転載します。

17年前に埼玉・本庄教会に移ってからずっと週報を送ってくださる教会・豊島岡教会から今日もまた今月の週報が届きました。いつものように丁寧な筆致のメッセージが添えられています。
この教会を辞するとき、一ヶ月に一度でもいいから礼拝に出席してください、籍はそのままにしましょう、と言われたのでしたが、こんなに濃密なつながりを今日までいただくなんてありがたいことです。
週報は教会の姿を映す鏡のようなものです。送られてきた週報には子どもの教会、教会祈祷会、北支区連合祈祷会などの集会案内の他、この教会らしく平和祈祷会、許すな、靖国国営化8・15東京集会、北村慈郎牧師の「免職」撤回を求める裁判の結果などが載っていました。
私が建築委員長として関わった会堂のクロスが張り替えられた記事には時の経過を感じますが、この教会に今でもこうして覚えられていることは私にとって大きな慰めです。

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2013年7月29日 (月)

「そんな牧師、いないわよ」

牧師さんは風呂場に入ってなにやらやっていた。大きな物でも動かしているらしい。音でそれとわかる。
「ちょっと見てください。これでシャワーができませんか。」
断ったはずの入浴をまだ牧師はまだあきらめきれないらしい。家にいても入浴は3日に一度ぐらいしかしていない。衣服の着脱が苦労だし、移動も体に負担が増すからである。
覗いてみるとバスタブの脇に診察台のようなものが並んでいる。私が足を伸ばして座るには十分の広さがある。
「手伝いますからシャワーやってみてください。」汗かきの牧師は私にもなんとかして一日の疲れを癒して欲しかったのだろう。
私は応ずることにした。ベッドで裸になって台の脇まで車椅子で行き、手伝っていただいて台に乗り移る。衣服を剥いだ体は足を動かすにも掴むところがない。牧師は狭い空間を乗り越えて足の方に移動し体を乗せてくれた。
そして車椅子を外に出してシャワーノズルを手渡ししてくれた。
私は熱い湯を全身にくまなくかけてその快感を味わった。
そしてまた牧師を呼んだ。台に座っている体は右に大きく湾曲している。誰もこの姿は見たことがないはずだ。牧師はいつもの大きな声で「気持ちいいでしょう。」と言いながら他のことは何も言わず、私を車椅子に引きずってくれた。

この牧師さんに援助を受けて旅をするのは今年で3回めである。会議中は信仰のことが話題の中心であるにもかかわらず何も発言しない。自己紹介でも「介助者としてきました。」とだけ言う。
「そんな牧師、いないわよ。」これは会議の参加者が私にそっとつぶやいた一言である。
 
 

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2013年7月23日 (火)

温かい紅茶

冷えきった部屋で紅茶を飲んでいる。ポカリスエットやウーロン茶ばかり飲んでいた身にはなんとも心やすまる飲み物である。
実は昨日肝臓の定期検査にいったのだが、肝硬変が進んだらしく、タンパク質の量が減っていたのだ。そうすると細胞が水分を吸収できず、脚のむくみが増すことになる。足は自ら動いてくれないから手を使う。重い太った足を動かすのは大変なことだ。ズボンやパンツをその足の下を通して挙げるのはなおのこと苦労である。
昨日は医師に申し出て、むくみの軽減のためにかつて女性化乳房を起こしたことのある利尿剤の処方を許可してもらった。
その結果、午前中はトイレに行くこと十数回。
今やっとトイレも落ち着き、深いぶどう色をした温かい紅茶を見つめながらゆっくり味わっている。

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2013年7月19日 (金)

王宮

Mini_130702_1342岩手県・北上市の田園地帯の一角にある「首相官邸」です。いや、王宮です。
緩やかなスロープを上ると広い自動ドアが待っている家です。この家の主人はリュウマチのために10年間ベッドで天井を見つめて過ごし、その床でイエスに出会いました。
北上の教会で役員として奉仕をしていますが、最近は聖餐のぶどう液も自分の力では飲めなくなったとのこと。しかし彼は言います。「何もできない者がそこに存在している。そんな教会があっていいんです。」
教会のみならずリュウマチの会他多くの団体の奉仕を「何もできない私が用いられることは幸せなこと」と言って積極的に行なっている彼。その家は首相官邸どころか王宮と呼んでいいでしょう。
因みに聖書では「王」は神から油注がれて、祝福を受けたものを意味します。

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2013年7月18日 (木)

語りかける聖書

「地区集会」の朝。教会によっては「家庭集会」とも呼ぶ。
今朝の聖書は申命記19章。一人の姉妹が都合で欠席のため、牧師と私、それにもう一人の姉妹の3人の集会だった。
なかなか一人では聖書に聞くことができなくなっている。自分の理解をベースに読んでも新しく上からの声が届いてこない。それに比べて、牧師の説き明かしは豊かである。
聖書は、あなたは云々と言って私に神の声を与えてくれる。あなた、と呼びかけられるとはなんと幸せなことだろう。その声を聞くと、孤独感から解放され、神とのつながりを強く実感できるのだ。

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2013年7月12日 (金)

O君を支えているもの

昨日facebookにこう記した。

「猛暑の中友はやってきた。車椅子を漕ぎ、帽子をかぶって友はやってきた。40年も前、中学部で担任をした男である。
  少し前、はがきが来て、「自力で移動できる間にお世話いただいた先生方にお会いしたいと思っています」と言うので会う約束をしたのだが、東京・世田谷に住む彼が3時間もかけて会いに来るその動機を私は図りかねていた。
  私はタオルを冷蔵庫で冷やし、汗びっしょりでやってくるであろう彼を待っていたのだった。
  部屋に入り、帽子を脱ぐと、赤く光る頭が現れた。還暦が間近という彼の人生を...私はそこに見た思いがした。
  食事をしてからの会話はもっぱら学校時代の思い出話であった。彼はもうだいぶ傷んでいるアルバムを持参したのだが、そこに写る仲間や先生方のことをやや不自由な言葉でとつとつと語って尽きなかった。
  「脳性麻痺の人で80歳を過ぎた人を先生は知っていますか」と言ってこれからの人生を心配している彼だったが、卒業後の生活や現在の状況は説明せずに彼は思い出に浸って3時間ほどを過ごした。過去の出来事がかくも人を豊かにすることを知らされてそれに与った幸いを噛み締めた昨日であった。
この写真は昭和43年、まだ彼が小学生のころのキャンプの様子である。因みに右隅に立つ男が私である。」

その続きを少しく書こう。
「彼は障害を持つ者に対する世の人の態度には敏感だった。
『先生と修学旅行に行ったことがありましたよね。バスの中にいる時、男の人が入ってきて、責任者はどなたですか、と言った時、先生が私ですと応えると、男の人はへんな顔しました。あれってやはり障害者は低く見られているということだったんでしょうか。』
私はもう大昔と言ってもいい古い出来後をそんなに鮮明に記憶している彼に驚きを覚えると同時に彼が背負ってきた重荷に思いを馳せた。
彼はこんなことも言った。
『この間、同窓会に初めて行ったんですよ。行ったとたん、Aさん(以前保母として働いていた女性)が”結婚できた?”というのにはびっくりしました』
この彼の言葉も成人すると結婚を当然視する世の風潮への抵抗かもしれない。
卒業生の中には様々な生き方をしている者がいる。彼のように心底笑えない人が、こうして訪ねてきてくれたことに私はある種の誇りを感じている。」

 

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2013年7月 3日 (水)

車椅子で新幹線に乗る

昨年もこの時期、車椅子利用者への対応の悪さについて書いた覚えがある。東海道・山陽新幹線を利用して、東京駅乗り換えをして帰宅した際、駅員の対応が悪く、車椅子では車両内に入れず、やむなくデッキに乗ったまま、駅ごとに乗降客のじゃまにならないように車椅子の位置を変えつつ帰宅した体験である。

一昨日また同様の”事件”に遭遇した。予め文書で詳細に依頼し、駅にも出向いて、確認してあったにもかからわず、乗った車両は車椅子対応のものではなかった。座席に行けないばかりか、トイレも利用できない。乗務員にこの対応の悪さはなぜか、と迫っても、よく言っておきます、申し訳ありませんと言うばかりであった。今後のことも考えて乗車した駅に電話をかけようにも走行音が邪魔でそれも叶わなかった。
乗換駅で我慢ならず電話を掛けた。駅ではひたすら申し訳ありませんと言うばかり。
 

各して旅行が終わり、昨日当の駅に帰り着き改札を出ようとすると駅長らしき者が謝罪に来た。手にはなにやら紙袋を持っている。お詫びの印だという。私はこれは個人的な出費をしてお菓子でも買ったのかと思い、駅にはそんな予算はないでしょう、受け取ることはできません、と強く辞退した。相手も引かない。
受け取り、そっと開けると、それはJRの支社マークの入った、ウエットティッシュとD51タオル、ハンドウォッシュだった。

苦笑を隠して、介護に付き添ってくれた人と家路に着いた。

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