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2013年6月

2013年6月24日 (月)

祈り

 愛に富たもう全能の父なる神様。一週間の歩みを終えて、今朝またこうしてあなたの御前に集うことが許されましたことを心より感謝いたします。

この一週間をふりかえるとき、私たちはある時は不安に陥り、また、ある時は悩みの縁に立たされました。しかし、その時どきにあなたは私共の傍らに立ってくださり、言葉をかけてくださり、御手を伸べてくださいました。そうして一週間が守られ、今朝があることを思い、あなたに感謝と賛美を捧げます。

神様、そのあなたの愛に応えて、あなたを証しするものとして私たちを用いてください。この世の名誉や、知恵に頼るのではなく、人に寄りかかるのでもなく、あなたを命の源として生きるものとならせてください。

神様、教会の友と手を取り合い、共にあなたを賛美する集団としてください。

遠く東北の教会を思う時、未だ、整わない礼拝堂で今朝の礼拝を守っている多くの方々に胸が痛みます。その方々の上に喜びが来ますように。

今朝も病床にある友、働きの場にいる友、いろいろな事情でここに集えない友の上に恵みをお与えください。

 これから御言葉を取り次ぐ先生を祝し、教会に必要なあなたの御言葉を聞かせてください。

これらの願い、祈りを共に集う兄弟姉妹の祈りとともに主イエスの名によって御前に捧げます。  アーメン

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2013年6月21日 (金)

ゲーム

前回の記事に、疲れがひどいのでゲームを休んでいると書いたところ、ある女性から「私はアンチゲーム派で、息子とゲームのことで始終言い争っております。きちんと時間のけじめをつけて遊ぶにはいいと思うのですが・・・」とコメントをいただいた。
私の遊ぶゲームは若者が夢中になるようなものではなく、極単純なものである。孫が楽しんでいるゲームに手を出してもとっても付いて行けない。
夕方やることもなく、話し相手もないときに、ゲームを開くと「5日ぶりでしたね。お待ちしていました。」と先ずメッセージが出る。なんだか本当に待たれていたようで悪くない気分である。選ぶゲームは例えば加減暗算、釣り銭勘定のスピードを競うもの等だ。競うと言っても前回の自分の成績と比較するだけである。そして、面白いことに、終わると、よく頑張りました、次回はまた頑張りましょう、などとその日の成績によって異なる言葉がけが表示されるのだ。
人は一人では生活していけない。いつも応えてくれる人、相手を欲している。私がこうして拙文を打つのも誰か知らぬが読んでくださる人、あなたに触れたくてのことである。
ゲームはいつもこちらの求めに応じて応えを返してくれる。それが若者に好かれる理由でもあろう。

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2013年6月19日 (水)

体調不良の中で

なかなか記事が書けないでいた。目がかすみ、肩がこり、食欲もなく、怠さばかりが募っていたからである。ここ二三日、パソコンを控えめにし、ゲームをやめたお陰か、少し快方に向かっている。昨日は脳神経外科を受診したのだが、まあ、せいぜい首を回してください、と簡単に片付けられてしまった。

そんな中、日曜日には信徒の友の編集者の女性と3時間ほど一緒に過ごし、信仰や障害を持つことの意味などを語り合って近年にはないうれしい体験をしたのだった。

また、今朝はG8サミット後の安倍首相の記者会見を見て、日本経済の順調な発展振りを強調しながら、財政健全化ではまっさきに福祉の見直しに言及する姿勢に腹を立てもした。

来月1日には岩手県北上市に行かねばならない。健康管理にいっそう努めねばならない。

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2013年6月 7日 (金)

孫のおねだり

テニスのために遠く内地留学している孫のHちゃんが、「じいちゃん、電子辞書使ってる?使ってなかったらちょうだい」と花文字混ざりのメールを送ってきた。
「しょっちゅう使っているよ。」と返事を返すと「なーんだ」と折り返しメールが入って、そこにはヒゲのような線が数本散らばっていた。
事実、私は最近とみに漢字忘れが激しいのでこの辞書は手放せないでいる。また、季語調べや病状を確認するにも使用する。
だが、ものをねだられることが少なくなった環境で、今度のHちゃんのメールは放っておけないものだった。どこか温かな空気が漂ってくる関係がうれしいのだ。
Hちゃんは小学生の頃からテニス一辺倒ゆえ、中学でも成績はいつも下から数えたほうが早い位置にいた。ところが最近古文で80点取ったよ、すごいでしょう、などとメールに書いてくる。そんな彼女がもしかしたら辞書で勉強をしたいなどと意欲を持ったのかもしれない。
ついに意を決して高校生用の電子辞書を買ってあげることにした。調べると、古文の読みを音声で確認する機能も入っている。手書きで漢字検索もできる。
3万円は痛い額だったがネットで注文し、夕べ送ったという次第。
親ばかならぬじじ馬鹿かもしれない。

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2013年6月 4日 (火)

過去の存在

引き出しの中には沢山の手紙が保存してある。
夕べ、遅くなって、そろそろ身辺整理のひとつとして手紙も整理しようと思いたち、いくつかを読み始めた。そして、その中の何枚かをゴミ箱に入れたのだった。
だが、この作業はいっこうにはかどらなかった。文面に目を通すと、そこには数々の過去が存在していたのだ。妻の信仰生活を省みた彼女の昔在籍した教会の牧師からのもの、もう天に召された私の中学時代の恩師が私の個人通信に丁寧に感想を書いて送ってくださったもの、教育実習に来た学生が私と関わって、その後どう生きているかを知らせてきたもの等々、どれも重い、捨てがたい手紙であった。
手紙が捨てられないのではない。そこにある過去が捨てられないのだ。
最近は行先ばかりを見つめて生きている。人生という旅の終わりをどうすかが関心事になっている。そして、自分の存在が軽くなっている。
その時、こうして過去を再認識し、その存在を発見したことは、行く先ではなく、今を充実するに必要な、貴重なことであった。

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