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2013年5月20日 (月)

ある青年の受洗

ペンテコステ礼拝の朝。豊かなメッセージをいただいて、聖餐にも与る中、ある青年が主を救い主と告白した。会堂にたくさんの人が集って洗礼式が執行されたのだが、その中には青年の祖父母がはるばる奈良かも駆けつけていた。
午後の祝いの会で祖父は、実はこの方は引退牧師なのだが、これからの信仰生活で聖餐に与ることだけは欠かさないようにと厳しく忠告した。
司会者から受洗の心境を尋ねられた青年は淡々と生活の現状を話しただけだったのでふと私は合いの手を入れて、CS時代はどんな思い出として残っていますか、と問うた。すると「退屈でした」と彼らしく飾り気なしの返事を返して、会場の笑いを誘い、話はそれ以上広がらなかった。
彼は中学時代いわゆる不登校の状態にあった。両親は理解があって彼をしっかり支えていたのだが、それでも言いがたい悩みはあったであろう。そんな時のことが今の彼にどう映っているのか、私はそれが聞きたかったのだが、彼の答えは私の不登校への認識を正すように簡単なものであった。
帰りがけに両親から紅白饅頭が参加者に配られた。あまり例のないことだが、私にはこのプレゼントに受洗に至った感謝に併せて、登校時代を共に過ごしてきた両親の喜びが込められている気がしてならなかった。

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