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2013年5月

2013年5月27日 (月)

己を捨てる時

モーセの生き方は信仰者に大きな示唆を与える。モーセはイスラエルの民として生まれるのだがエジプトでイスラエルの民を絶やそうとする中、王女に拾われて育てられたのだった。だが、目の前でイスラエルの民が迫害を受けるのを目の当たりにしたとき、王の部下を殺害したために遠くミディアムまで逃げたのである。ここでモーセの自尊心も消え、彼の人生は挫折したのだった。
ところが、80歳になったある日、彼は神の呼び出しを受けた。エジプトで苦しむ民を解放し、神の国として約束されているカナンの地に導くようにという神の言葉を聞いたのである。なぜ老人となったモーセを神は召したのか。

4月号から「信徒の友」では「モーセと行く荒れ野の旅」を連載している。その6月号に筆者の小宮山剛牧師はこう書いている。

 「それは、モーセが失敗と挫折を通して自分の無力さ、罪深さを知り、ただ主なる神にすがるほかなくなったからだと言えます。主は、モーセがそのように砕かれるときを待っておられました。

 人は、自信満々で主に頼らないときは、主の栄光を証しすることができないのです。

 イエスさまの弟子たちも同様です。イエスさまのためには命も捨てると自信満々に誓った弟子たちでしたが、その場になると逃げてしまいました。しかしその挫折を通して自分たちの罪深さ、弱さを痛いほど知りました。その弟子たちのところに、復活されたイエスさまが来られ、再び弟子としてお遣わしになったのです。」
この言葉をかみしめてこれからの日を生きて行きたい。
 
 

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2013年5月23日 (木)

触れ合う喜び

大学時代の友が大阪で一行詩の主宰をしている。先日句集を贈呈したら句仲間の一人ひとりに丁寧な感想を書いて送ってきてくれた。
明日は句会の日。できることなら選評はともかく選句だけでもして貰いたいと思って明日の句一覧を昨日ファックスで送った。
今朝、ファックスが早速届いた。だが、文字が滲んでいて読めない。するとおっつけ電話が鳴って、やっぱりそうですか。いや、送信がうまくいかないことがあるんですよ、とのこと。
では、読み上げてください、と私がお願いして、その後しばらく会話を楽しんだのだった。
もう、50年前の友である。大学で階段を背負ってもらった友。その友とこうして触れ合うことができる。喜び以外のなにものでもない。

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2013年5月20日 (月)

ある青年の受洗

ペンテコステ礼拝の朝。豊かなメッセージをいただいて、聖餐にも与る中、ある青年が主を救い主と告白した。会堂にたくさんの人が集って洗礼式が執行されたのだが、その中には青年の祖父母がはるばる奈良かも駆けつけていた。
午後の祝いの会で祖父は、実はこの方は引退牧師なのだが、これからの信仰生活で聖餐に与ることだけは欠かさないようにと厳しく忠告した。
司会者から受洗の心境を尋ねられた青年は淡々と生活の現状を話しただけだったのでふと私は合いの手を入れて、CS時代はどんな思い出として残っていますか、と問うた。すると「退屈でした」と彼らしく飾り気なしの返事を返して、会場の笑いを誘い、話はそれ以上広がらなかった。
彼は中学時代いわゆる不登校の状態にあった。両親は理解があって彼をしっかり支えていたのだが、それでも言いがたい悩みはあったであろう。そんな時のことが今の彼にどう映っているのか、私はそれが聞きたかったのだが、彼の答えは私の不登校への認識を正すように簡単なものであった。
帰りがけに両親から紅白饅頭が参加者に配られた。あまり例のないことだが、私にはこのプレゼントに受洗に至った感謝に併せて、登校時代を共に過ごしてきた両親の喜びが込められている気がしてならなかった。

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2013年5月16日 (木)

過去に学び、過去を未来へ

旧約聖書に申命記という巻がある。モーセがカナンに入る前に最後の説教をしているという設定なのだが、実はこれはカナンに誕生した王国が滅ぼされ、異国の捕囚にあったその後に編まれたものである。
今日は家庭集会の日。今朝学んだことは神でないものを神として崇めてはならない、権力者は武具を増やしてはならない、常に真の神の言葉に聞き従え、ということだった。そうしなかった民や王たちがやがて王国を滅ぼしたことを踏まえての捕囚後の戒めである。
近日、日本の指導者の歴史認識が問われる事態が連続して生じている。過去を反省することなく、正当化さえして、力の政治を行おうとしているのだ。
申命記に学ぶことは多い。

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2013年5月13日 (月)

聖書に書かれたアイドル

近くに早稲田大学の研究施設があって、そこには世界各国から学生が来ている。先日タンザニアからの留学生は帰国したが、今礼拝に来ているのはインドネシアの女性である。
昨日、礼拝の後で聖書会があったときのことだ。ホセア書を共に読んだのだが、彼女は英語版の聖書で輪読に加わった。
聖書には偶像を排するようにという神の命令があちこちに見られる。真の神を崇めず偶像を拝することはあってはならないことなのである。
昨日の会でわかった面白いことは英語版の聖書では偶像をアイドルと表現していることだ。若い人の間でもてはやされているあの可愛い、ぴちぴちギャル、そのアイドルが英語では「偶像」だなんて、ことばは面白いものだ。
いや、ギャルたちに限らず、私たちの周囲には私たちが大事にしている「アイドル」がいっぱいあるに違いない。

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礼拝の司会

 恵み深き父なる神様。今朝も豊かな恵みをありがとうございます。あなたに招かれて、私たちはこうして御堂に集って参りました。

 今朝も同じようにあなたにより頼み、あなたを仰ぐ兄弟姉妹と共に、あなたを賛美し、あなたに祈り、あなたの御言葉に聞くことができることを心から感謝いたします。

 私たちは今、御子の復活の恵みを受けて毎日を過ごしております。ややもすると自分の上に覆ってくる悩み、苦しみ、その重さに押しつぶされそうになる時、十字架の苦しみを負い、そしてよみがえられた御子をもう一度見上げて、私たちは涙し、励ましを受け、あなたへの道を歩いています。

神様、今、世の中は経済が活気を帯び、生活が豊かになって来ているとの情報が広まっていますが、その中にあって、希望を失い、道に迷い、悲しみの中にある人が多くおられることを私たちは知っています。御心ならばどうぞその人達の上に私たちと同じ復活の励ましと喜びをお与えくださいますように祈ります。

私たちはこうして兄弟姉妹と教会で交わりをし、共に御言葉に聞き、賛美の声をあげることが今日も許されましたが、ここに集えない友に私たち同様の恵みと力が与えられますようにと祈ります。

 これから先生の口を通してあなたの言葉を聞こうとしています。

 その取次の業を行う先生を祝し、導いてください。

これらの祈り、感謝、願いを贖い主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。  アーメン

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2013年5月 6日 (月)

慰め主、イエス

昨日の礼拝にて。
賛美の歌に合わせて涙こぼるる。我が心を捉え、抱き、愛に包む主の愛。

賛美歌21、454番。第二節。
 この悩み苦しみ、誰が知るのだろう。
 この痛み嘆きを 誰がなぐさめよう。
 むなしく重荷は 増えていくばかり。

第4節。
 喜びの日を主は 備えてくださる。
 その日を待ち望みまよいを退け、
 み心を信じ み旨に従おう。

やがて感謝の喜びに包まれる。それは第5節。
 苦しみの中にも 神は見はなさず、
 ふところに抱いて 良いもので満たす。
 進みゆく道を 神は祝される。

涙、拭われし我、そこにあり。

 
 
 

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2013年5月 3日 (金)

憲法記念日

憲法記念日とあってマスコミでは改憲論議が盛んである。お陰で今朝は新聞に長時間関わることができた。
朝日新聞の多くの記事の中で核心をえぐっていると思わえたのが「96条改正という『革命』」と題する憲法学者・石川健治氏のオピニオンである。すこぶる論理的で、なまった頭に潤滑油を注入するのに最適なものだが、ここにそれを紹介するには内容が多すぎる。
ただ分かりやすい、それでいて核心と言えることを一点だけ紹介すれば、96条の改正は、サッカー選手がプレイしながらルールを変更しようとするのと同じで、内閣がその発議するなどということは戦慄的なことだとの指摘である。
興味のある方は3日の朝日新聞をご覧頂きたい。

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