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2013年3月26日 (火)

死の神学

近く主の許へ召されるかもしれない人と一緒にいるとき、神とどんな関係に自分を置いたらいいのかと迷う。神様、あなたはこの人をなぜ召されるのですか、神様のところではどのように過ごされるのですか、私はなぜ独りにされるのですか、そんな多くの疑問が湧いてくるのだ。
ところが聖書には死についての回答がないという。神学書を読んでも慰めになるものはない。
そんな経験をした私だが、先日聖書の学びをしている時、嗣業という言葉に出合い、ふとこれは死の神学になりうるのではないか、と思ったのだった。
すべてのものの支配者である神は神の国を作るために人々を世に遣わし、人間の歴史を形成しているのだが、その過程で国を与え、人を生かし、そしてまた人を死なせる。これらはみな神の与えたもう、人間の側から言えば、神から授かる「嗣業」なのである。
愛する人を天に送る、これは神の愛によって生かされ嗣業として賜った命をもう一度神のところへ返すことなのだろう。

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