« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »

2013年2月

2013年2月26日 (火)

安倍のミクスとは

好況の車に乗って戦場へ
 
  
最近株価が上昇したり、円高が進んで世間では安倍政権が好評を受けている。(もっとも私には株価とか円高、円安という内実は全くわからないのだが。)これで経済が好転し、サラリーマンの収入が増え、生活が豊かになればますます安倍政権は基盤を強め、好きなことをやりだすだろう。
安倍政権はその根底に憲法の改正や軍事力の増強を成し遂げたいという願望があるのだが今はそれを表沙汰にはしていない。だが、多くの国民の支持を受けるとこの衣の下を現すことは間違いない。
昔ヒットラーが不況を強引に脱し、その勢いで権力を思いのままに駆使し、戦争に突き進んで行ったことをここで思い出すのはあまりにも稚拙な考えであろうか。

| | コメント (0)

2013年2月22日 (金)

春近し

今日は句会だった。私よりも年長者の多い句会だが、皆さん元気がよくて、自己弁護したり、共感したり、賑やかな集いだった。
いつものようにお菓子や昼食を用意してきてくださり、それも美味しく頂いた。
皆さん車でおいでになるのだが、帰りの様子を見ると、我が家の駐車場から出るときも何度もハンドルを切り返して、そろそろと運転していかれた。
年寄りだから皆幾枚も重ね着して丸くなっているがしかし、顔には笑がいっぱいだった。
自分自身を振り返って見ても、句会の前にはもう疲れきっていた。起床後の様々な活動が重労働になっている。トイレ一つとってみてもたくさんのエネルギーを要する。それに加え、友を迎えるにはそれなりに部屋を整えねばならない。
これはお仲間とて同様であろう。皆さん、そこを通って参集してくださるのだ。
結果、楽しい句会となったのだった。
もうそこまで春が来ている、地下から春の水が上がって来ている、そう感じられる句会であった。

| | コメント (0)

2013年2月17日 (日)

ニンテンドーDSLLで遊ぶ

手持ち無沙汰になるとゲーム遊びをすることが多くなった。本を開くとかじっくりと音楽を聞くとか、そんなこころのゆとりがないのだ。
遊びの一つがニンテンドーDSでの脳トレである。一桁、二桁の数字の加減をするという単純操作や、お釣りの計算などをよく手がける。加減の遊びは時間を少しでも短縮しようとするのだがなかなか向上しない。釣り銭ゲームでは誤りが多い。
でもこんなことが楽しく、目の疲れを感じても手放せないのだからおかしなものだ。
時間制限という要素が生活の中に少なくっている昨今、脳の活発化には少しは益するだろうか・・・・。

| | コメント (0)

2013年2月14日 (木)

為すこともなし

外はもう春。日差しがいっぱいに溜まっている。車の往来もなく、猫一匹見かけない。
午前中教会総会の資料作りをし、食事をとって、しばらくテレビを見ていたのだが、それも飽きて外に出た。隣の未だ住人が越してこない新築の家には工事人が入って何やらやっている。
さて、午後は何をして過ごそうか。未だ、決まらない。昨日教会で友の葬儀をし、親しい友を送ったせいか、なにやら自分の中に空洞ができた気分である。
こんな時は何もせず、ぼんやり過ごすのがいいのかもしれないが、それはなかなかむずかしことだ。
太宰の「津軽」を先日来気の向いた時に読んでいるから、その先を開いてみることでもしよう。

| | コメント (0)

2013年2月11日 (月)

不自由を生きる

今朝の朝日歌壇。こんな句が目に留まった。
 不自由も自由も糧に春を待つ

なんだか日々の不自由さゆえの苦しみから解放される思いがする句である。いい句だ。不自由も自由も神様がくださった春を、天国を待つ糧なのだとそっと優しく囁かれているようである。
ちなみに今朝、苦しみに与る、と題して小文を「こころの便り」にアップした。良いタイミングでよい句に出会ったものだ。

| | コメント (0)

2013年2月10日 (日)

礼拝司会者の祈り

 恵み深き父なる神様。今朝もあなたに心を強められ、脚を確かにされて、こうしてわたしたちは教会に集ってまいりました。

 どうぞこれからの礼拝の中にあなたの聖霊が豊かに注がれ、私達がそのことに感謝し、心からの賛美の時を持つことができますようにとお祈りします。

 神様、私達は今深い悲しみの中にあります。敬愛するT兄をあなたはお召になりました。先週の礼拝を共に守り、手を振って笑顔で別れたT兄をこんなに早くなぜにお召になられたのですか。

 あなたに支え、友を愛し、教会を守った柔和なT兄がもうおられないことを実感し、心潰れる思いが致します。

 この悲しみの中にあってどうぞあなたがすべてのことをよしとしてくださる方であることを信じることができますように。

 また、そのご家庭を顧みのうちに置いてくださいますようにと祈ります。

 神様、教会は年度の終わりにさしかかっています。礼拝を守り、祈りを合わせ、また、交わりを導いてくださったことに感謝します。私たちはあなたの御言葉なくしては生きられない日々を送っています。どうぞ教会が一致してあなたに聞く集団となりますようにお導きください。

 神様、この良き日にここに来られない友がいることを覚えます。どうぞその一人ひとりの身元を訪ね、力を与え、励ましを与えてください。

 恵みのメッセージを取り次ぐ先生をあなたが導いてくださいますように。
 この祈りを贖い主イエスキリストのお名前を通して身元に献げます。アーメン

| | コメント (0)

2013年2月 9日 (土)

友逝く

先週の礼拝を一緒に守った友、Tさんが昨日召された。もう窓際の席に二人並んで礼拝を受けることは叶わないこととなってしまった。
Tさんは4年前に癌が見つかり、その後手術を受け、抗癌剤を使ったりしてすっかり元気になったように見えた。以前は中学校の校長をした彼だがもともと農家の出身なので、教会に来る時も首に手ぬぐいを巻いて、いやー、暑いんね、などと田舎言葉を丸出しにしていたのだった。
最近は体調が衰えていたらしく、来るだけでくたびれるんねー、と言って席に着くのだが、賛美をするときには、前奏が終わった段階で起立し、歌い終わると直ぐにまた腰を下ろしていた。
それでも先々週の午後はお餅を食べる会で皆と笑顔で交わり、一緒に食べると美味しんね、と言って帰ったのだ。
それなのになぜ昨日になって急に召されたのだろう。主の御心は計り知れない。
ただ、思うに、優しさ、柔和を振るまいたTさんにとってこうして静かに天に帰ることは本当に彼らしいのではないか、ということである。
残されたご家族、とりわけ奥様のMさんを神様がお支えくださるようにと祈る。
Tさん、ありがとうございました。

| | コメント (0)

2013年2月 7日 (木)

日が長くなったのかな

もうそろそろ6時になるのに外はまだかすかに明るい。先日まではきっとこの時間には夜が来ていたのではなかったか。
そう言えば来週の半ばにはレントに入ると牧師が言っていた。レントにはいろいろの意味があるらしいが、うちの牧師はこの言葉はlengthすなわちロング、長くなるとの意味だとしばしばおっしゃる。日がこの頃から少しずつ長くなるというのだ。
暗い長い冬が終わり、若芽が出て、希望の光りが射してくる。その始まりなのである。しかし、まだ暗さは終わったわけではない。いや、イエスの苦しみは徐々に頂点へと向かう。
レントの時期はその苦しみをじっくり私達も噛み締めなければならない。その先に復活という希望の光りが満ちることを願って。(レントをこう理解していいと思うのだが、間違いだったら後ほど訂正させていただく)

| | コメント (3)

2013年2月 1日 (金)

マッサージ師との会話 続き

KindleFIREで「あたらしい憲法の話」を購入し読んでいる。この本は戦後間もなく当時の文部省が学校教材として発行したものだ。私も薄っぺらな、しかも粗末な印刷のこの本を新しい世界への憧れを持って学んだ記憶がある。
今朝電子ブックのページを繰っていくうちに戦争放棄のところですばらしい表現に出会ったのでここにマッサージ師との会話の続編として書き置く。

「放棄とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」

| | コメント (0)

« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »