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2013年1月23日 (水)

主と共にあれば

1:17 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。
1:18 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。
1:19 というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。
1:20 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。
1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
 
水曜日、祈りの会が終わった。聖書に聞くことは力を与えられることだと実感する。
今朝はフィリピの信徒への手紙に聞いた。パウロは獄中にあるが、喜びの書簡と後に言われる手紙をフィリピの信徒へ書き送っているのだ。
たとえ教会の内部に不順な動機から神を語るものがいても、また自分が捕らわれの身にあって死に直面しても、それが神を崇めることになるなら喜んでいよう、とパウロは言う。
病気の身も生活の困難さもなんだろう、主が共にいて、主を語るチャンスを与えているのではないか。主よ、私の傍らに居てください。

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