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2012年10月

2012年10月31日 (水)

俳句選ばれる

朝日新聞埼玉欄に「埼玉文化」なるコーナーがある。そこの俳壇に先日投句した一句が選ばれた。二回目の投句だったが意外に早く目を留められたものだ。
 路地裏に踏切の音秋の風
これは病院で順番待ちのとき、あまりに長い待ち時間に疲れて玄関を出た時、玄関の向こうの家並みの裏から電車の音が聞こえてきた際の句。
八高線は1時間に一本くらいしか走らない。そんなローカル線なのだが、それだからこそ音が心地よく響いたのだった。
 選者の落合水尾氏はこんな選評を書いて下さった。
「音の景。叙情のふくらみが楽しめる」。
叙情を感じ取って下さったことに感謝。

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2012年10月30日 (火)

蔵の話

私の家には蔵がありました。でも足の悪い私は蔵に入ることはできませんでした。中には何が眠っているのだろう、子どもこころにいつも気になっていました。そんな私ができることと言えば運び出される品を見て暗い蔵の中を想像することでした。
昔のそんな自分をエッセイにまとめました。ご一読ください。
http://homepage3.nifty.com/bridge2/kokoro.html

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与えられたいのち

出生前診断に関する記事が時々紙面に載る。今朝も朝日新聞には記者の目から書いた記事が載っていた。
キリスト者の立場から何らかの発言をしなければとその使命を感じつつもなかなか出来ずにいたのだが、先日私たちが障害を持ってイエスの愛に生かされている実際と、障害を持つ私たちも神様のご計画によって誕生させられた者だという主旨の小文を書き上げ、朝日新聞の「私の視点」へ投稿した。
だが、採用されないままだ。
そこで今度は同文を全国キリスト教障害者団体協議会会長名で厚生労働省と日本産婦人科学会へ郵送した。
どんな効果があるかは不明だが一応の義務は果たせたと考えている。
朝日新聞も国民の同意形成が必要だなどと言いながら自らは通り一遍の当たり障りない記事を書くばかりでなく、読者の投稿をどんどん載せたらいい。

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2012年10月29日 (月)

合唱に打たれる

最近どうしたわけか合唱を聴いているとやたらと胸が詰まる。
以前はこんなことはなかったのだ。一列に並んで、口を一斉に開け、気取った格好で歌う生徒らを見ると、なんだかうそっぽくて嫌だった。
だが、このごろはその姿にこころがこもっているように見えるのだから不思議である。全員が一つの魂を共有しているようにも見えるし、なにか訴えているようでもある。
昨日も合唱祭があったようだが、あの歌声を聴いていると泣きそうになる。
どうしてだろう。

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2012年10月25日 (木)

朝4時

最近朝方、それもまだ暗い4時頃目が覚めるおかしな癖がついてしまった。11時頃寝るからまだ5時間も経っていないことになる。
以前はこんなときは腹式呼吸をゆっくりやればまた寝られたのだが、近頃はそうはいかない。
もう寝るのは諦めて、なにをするかというと一つはラジオ深夜便を聴くことだ。4時からは「明日へのことば」。ゲストがなかなかいい話をしている。先日はチベット自治区が急速な開発で、自然が破壊され、多くの貧困層を生んでいるという予想もしない話を聞いた。
もう一つの時間の過ごし方はあれこれ「思索を練る」ことだ。意外に自分でも驚くほどのことばが浮かんでくる。そんなとき、朝になるとすっかり忘れているだろうから、携帯電話のメモ機能を使って打ち込んでおく。
そうしていると直ぐに5時を過ぎる。また、疲れもでてくる。
再び眠りの世界に戻れるというわけである。
こんなことができるのも一人寝の特権かもしれない。

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2012年10月22日 (月)

近作俳句

 携帯を打つ手の寒さ秋の朝
朝まだき、Sさんから送られてくるメールに返事を打つ。布団から出した手が寒い。
 
 新聞をゆっくり読んで秋の朝
食事の後、一人ゆっくり新聞を読む。そして一日を始める。
 
 プロ野球終わって秋も深まりぬ
まだ日本シリーズが残っているから終わってないのだが、そんな秋の深まりである。
 
 パソコンを閉じて見上げる月おぼろ
パソコンばかり見つめていると夕方ふと仰ぎ見る月が霞んでいる。
 
 刷毛使い描いた絵の如秋の畑
油絵の筆致には筆ばかりでなく、ナイフや刷毛を使ったものもある。秋の田畑はちょうど刷毛で描いたように色づいている。
 秋の田やバリカンの跡整然と
稲刈りの後の田圃。コンバインが通った跡。
 
 己が身の世話で一日秋日暮れ
時々綴る日記からご想像いただけるだろう。

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2012年10月21日 (日)

助けられる人に助けられて

礼拝に行くと私は窓際に座る。車椅子が中程にいると自分も他人も動きにくいことも理由の一つにはある。だが、もっと大きな訳はむくむ足を垂らして礼拝中を過ごしたくないことである。だから、スチール製の椅子を持ってきてもらいその上に足を伸ばして礼拝を守る。
足は重くて自分では椅子に載せることは大変である。いつもはHBさんがその役をかってでてくれる。
今日はそのHBさんが休みだった。私が椅子を引き寄せているとTNさんがやってきて手伝い始めた。今、彼女は腕を痛めて首から吊っている。だが、もう一方の手で足を持ち上げてくれた。
いつか書いたように彼女は聴覚障害をもっている。いつもはHBさんに説教をパソコン上に入力してもらって理解しているのだ。
そうして援助を受けている人に今日は助けられて礼拝に臨んだのだった。

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2012年10月20日 (土)

一日の始まり

冷たい空気が身を引き締める朝が来た。
5時過ぎに目覚めた。まだカーテンに朝の兆しは見えない。生島ヒロシの一直線を聞きながら、時を過ごす。
左半身のマヒが強くなって、寝ていても均等に体重がかからないから十分休めないのだが、布団の中の温かさが心地良い。
そのうちにまたうとうとしたらしい。気づくと7時をだいぶ過ぎていた。いつも走ってトイレにやって来るヒカちゃんの音がしない。夕べサッカー用品をまとめていたから、宿泊合宿に行ってしまったのかもしれない。
身支度に30分ほど掛けて居間に行くと、朝陽がいっぱいに満ちていた。
若い者はサッカーを観に出た。今日も一人でパソコンとテレビを相手に過ごすことにしよう。

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2012年10月18日 (木)

危険な兆候

最近本を読まない。
新聞も見出し程度で中身をじっくり読む気がしない。常識的な解説ばかりで、筆者の息吹が感じられないからだ。
観るテレビはスポーツ番組が中心である。大リーグもプロ野球も今覇権争いで面白い時を迎えている。
土日は競馬中継で日が暮れる。
どうも危険な兆候が漂っている。妻がいたときは日常のことは任せきってエッセイ書きや絵に没頭できたのに、独りになって食事、衣類の管理、体のケアなどを仕切っているとそれが済めばあとはいいという気になってしまうのだ。
内面に蓄積する喜びよりも、寂しくって、外界とのコンタクトが欲しいこともこんな生活態度を作るきっかけになっているとも考えられる。
罪悪感を持たずにやりたいようにやってみよう。

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2012年10月15日 (月)

木の香

よい秋の陽であった。
車椅子で買い物に出た。目的地までの間に新築中の家がある。まだブルーシートで覆われているのだが、その脇を過ぎる時かすかに木の香が漂っているのに気づいた。
 新築の木の香に気づく秋散歩
少し行くと、時々我が家の愛犬ライアンに挨拶に来てスルメをあげる女性に会った。お元気でしたか?お会いすることがすくなくなっていましたが電気が点いているのであんしんしていました、とおっしゃる。
更に進んで、橋の上から河底を覗く。水が澄んで光り、どこかでセキレイの鳴く声が聞こえた。

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2012年10月14日 (日)

一人の礼拝

体が痛くて礼拝に行けない。先日小さな手術を受けた傷跡が痛むのとそれをカバーするために手や肩に多くな負担がかかるためである。
一人で聖書を読み、祈る。
今朝の聖書箇所は使徒言行録11章19節から。そこには迫害を逃れて異教の地に下っていった信徒らが神を語る恵みに与ったことが記されている。
神は困難をも用いて神の恵みを人々に伝えたのだった。
数日痛みに耐えているこの僕もどうぞあなたにより強く連なり、この苦しみを栄光のために用いてくださいと祈ろう。

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2012年10月13日 (土)

田中大臣の発言

文科大臣の田中眞紀子さんが人はそれぞれ違うんだ、違っていいし、それを認め合うことこそ大切だと盛んに発信している。生い立ちも、DNAも、顔かたちもそれぞれ人は違う。そのことを認め合って、他人の尊厳を知ると、自分の大切さも分かる、田中さんはそう言っているようだ。
私は文部行政の責任者がこうおっしゃることに関心を持つ。なぜなら、この発言内容が教育の現場で活かされれば今大きな問題になっている「いじめ」の解決につながると思うからである。そこでお願いなのだが、田中さんには教育現場を上意下達の管理主義から教師中心の場とし、教師が自由に田中さんの言うような子どもを育てる教育の研修を行える学校にしていただきたい。
子どもたちが自分の体に自信を持ち、友だちとの交わりに喜びを感じ、自然と豊かに触れ合うことを援助する教育、その実現こそが遠くて近い「いじめ対策」になるだろう。

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2012年10月 9日 (火)

天国の結婚記念日 第46回

結婚記念日だ。計算したら46回目である。独りになって4回目。
今朝ラジオ深夜便のおしまいのところで今日の花言葉は秋海棠だと教わった。花言葉は片思いだとのこと。そこで一句。
秋海棠天国の妻恋しくて
 
一人で生活していてつらいのは話し相手がいないことだ。面白いテレビを見ても、懐かしい話を聞いてもそれを分かち合う人がいない。
そこでついつい携帯を利用することになってしまう。メールをチェックしたり、書いたりして相手探しをするのである。
でも私は幸いにも早朝から俳句交換をする人もいるし、FCの友も多い。また、古い友人とも交流している。
 
今日は妻の写真をいつもよりたくさん見て感謝して過ごそう。
 

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2012年10月 5日 (金)

メールで起こされる朝

Sさんは早起きである。もう6時には起きているらしい。お勝手の仕事もあるだろうに、こんなに早く、彼女は俳句メールを毎朝のように送ってくる。
私は目は覚めているのだが、何もする気もなくぼんやりしている。するとメールの着信音が爽やかな朝鳥の声で鳴るのだ。
私も目覚るといつしかこのメールを待つようになってしまった。だから、携帯が鳴ると、ホッとして開くのである。
今朝の俳句はこんなものだ。
枕辺にテープの声聞く夜長かな
秋の夜徒然草を読み返す
虫たちの麗しき声続きけり
少し説明が必要である。実はSさんが古文を勉強したいというので昔使った教科書をコピーし、下手な朗読を付けて先日差し上げたのである。それを秋の夜の満ち足りた部屋で聞いていると詠んだのだ。
言いたいことを遠慮なく言い、気軽に用事を引き受けてくださるSさん。
今日もこれから新米を炊いて届けてくださるそうだ。いい仲間に恵まれ、ありがたいことである。

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2012年10月 1日 (月)

安心して行きなさい

ルカによる福音書に長血を患った女の話が出てくる。全財産を使い尽くしてもその病は治らなかった。
当時出血のある女性は汚れているとされていた。また、その人に触れた者も汚れると考えられていたという。
ある日彼女の村にイエスがやって来た。表に出られないので人混みに混じって彼女はイエスに近づいた。そして、イエスの衣に触れたのだった。
するとそれに気づいたイエスは「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と彼女を祝したという話である。
どうにもならない数々の古い価値に縛られて苦しむ人は多い。多くの場合、苦しみながらもそこに留まってしまうだろう。
だが、イエスは新しい価値をすでにこの世にもたらしてくださっている。古いものを脱ぎ捨て、イエスに依り頼んで希望の道を進みたい。
イエスは私にもあなたにも「安心して行きなさい」とおっしゃっている。

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