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2012年8月

2012年8月31日 (金)

読んでほしい本

「闇への道、光への道」(ヘンリー・J・Mナウエン、ウォルター・J・ガフニー著、原みち子訳 こぐま社刊)を読んでいる。年を重ねて、困難の中、苦悩の日々を送る人にはぜひ読んでいただきたい本である。
読み終えた箇所からの引用は面倒なので省くが、平易な例を通して、この本は様々な老人が抱える、老人を押しつぶそうとする条件からその人たちを開放し、前方にある光へと誘う力を持っていると言える。
今開いているページからは「世話すること ケアリング」の話になる。そこで目に留まった一節はこうだ。
「世話をしていくには、自分自身の傷つきやすい自己を、相手を癒す源として差し出さねばならない。老いゆく人の世話をすることは、それゆえ、なによりまず、あなた自身が老いゆく自分の自己と深く接触すること、自分の時間を意識すること、自分の人生の軌跡が刻々とつくられているのを感じることなのである。」(87ページ)
 
暗闇の中に留まらないで、光をいただいているその恵みを見つめなおして進むためにすこしずつ読み続けたい本である。

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2012年8月28日 (火)

おむすび

テレビを視ながら気がついた。子供の時握ってもらったおにぎりは美味しかったと。今コンビニに行けば多様な具のおにぎりを手に入れられる。見た目も立派だ。
だが、子供の頃母ちゃんににぎってもらったあの握り飯には及ばない。
大豆の破片が混じった味噌を手のひらに薄く塗って、光る米を丸めた、あのおにぎりが食べたい。

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2012年8月27日 (月)

近作俳句

またけふも暑くなるてふ車椅子
休みつつ身支度するや夏の朝
兄よりも父よりも長く生き夏疲れ 空澄んで吾は地上をはい回る 垣の下猫すり抜けて茗荷あり
ラジオ前正座の記憶終戦忌
赤子泣く診察室や梅雨哀し どの句にも人の顔あり夏句会 夏カーテン開けっ放して娘と朝げ

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2012年8月24日 (金)

安心の手紙

福岡市で教員をしている女性からいつものゆったりと美しく、丁寧な字の手紙が届いた。その昔、私が教育実習で受け持った人である。
最近はメールでこのブログへの感想を送ってくれるのだが、今回はどうしたことかと心躍らせて封を切った。
まず、几帳面な彼女らしく、「手紙にしたのは特に変わった要件ではありませんのでご安心ください」と断った上で、仕事のこと、趣味でやっている腹話術の話などを知らせてくれた。
私が嬉しかったのは、彼女もそれを喜んでいるのだろうが、メールでなくペンを持った訳だった。それは、最近久しぶりにペンを持って手紙を書いたらよく手紙を書いていた昔がなつかしくなったからだとのこと。もうまたしばらくはこうしてゆっくりした時間を持てないだろうとも付け加えていた。
そして、「手紙を書いていましたら、うれしい気持になりました。」と終わりに多分御自分の満たされた時を喜びながらであろう文句を足していた。
 
与えられた時間を使って、和紙の便箋に大きな字で、こころを込めて書いたであろうこの手紙は私のこころに大きな空間とゆとりを作り出している。返事はその大きさを十分に堪能してから書くことにしよう。

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2012年8月23日 (木)

手の感触

若い友が亡くなった。まだ35歳くらいではなかろうか。在職中、授業を通して豊かな交わりをした生徒である。
彼が亡くなったと聞いた時、私の脳裏にまず浮かんだのは彼との手の触れ合いであった。だいぶ以前の文章になるが、その冒頭に彼のことが書いてあるので以下に紹介する。

http://homepage3.nifty.com/bridge2/394.html

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2012年8月22日 (水)

日々生きることの尊さ

シリアで女性ジャーナリストが命を落とした。紛争の最前線で取材中に銃弾を受けたという。
この女性は紛争が起きている地に入り込み、そこで生きる子どもや女性の姿を主に取材していたそうだ。戦争や国内紛争がこの人達にどんな影響を与えているか、この人達は日々どう生きているかを世界に知らせたかったのだ。
そうすることによって戦争が早く止み、いや止まなくても広がらないように願っていると彼女の死を伝える報道の中で生前語っている。
銃弾が飛び交い、死傷者が出、家が破壊される、その所で子どもの生活を支え、日々生きる姿を伝える彼女のビデオを見て、生きるという事実がどんなにか尊いものであるかを知らされる思いがする。

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2012年8月20日 (月)

よい業

耳の不自由な女性Tさんが礼拝に出席するようになった。歳を召した方だが明るく教会員と交わりをしている。
一ヶ月ほど前、私は説教で大きな恵みをいただく日があった。その時、この恵みにTさんも同様に与ってほしいと心から思った。
早速、礼拝後、どんなお手伝いをしたら説教を十分に聞くことができますか、と彼女に尋ねた。すぐには明確な答えはなかったが、この様子を見いていた教会員の一人がお隣に座ってメモをとってお見せしましょうと名乗りでたのだった。
説教は日常語と違ってメモも取りにくいだろうがその方は早速次の聖日から実行に移した。牧師も説教の概要をメモにしてお渡しいているという。
さらに、昨日のこと。若いHさんがパソコンを持ち込んで、説教を聞きながらそれを打ち込み、Tさんの前に用意されたディスプレイに映そうというのだった。残念ながらTさんがお休みだったので見てもらうことはできなかったが、Tさんが教会に来るようになって教会内に新しい風が吹き始めている。

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2012年8月17日 (金)

妻の人柄

連日この暑さの中、無為に過ごしている。「無為」という言葉を使うことこそ自分らしいとも思うのだがどうしようもない。
一日を生きる、何をするでもなく無事に時間の中にいること、そのことを感謝すればいいのかも知れないが素直にそうできないのが私である。
書斎の棚を見回しても取り出して読みたい本もない。結局手にしたのは江國滋著「癌め」であった。俳人、エッセイストの江國さんが2月に癌を宣告され、8月に亡くなるまで癌に向きあって作った俳句が収めてある。
読んでいくうちに妻のことがよみがえってきた。江國さんはこんなに恐れ、不安、怒り、喜びを声にしているのに、妻はほとんど感情を表にすることはなかったなあ、と気づくのだった。日記を見ても、見舞い客の名前や、見舞金の額は書かれているだけだ。
いかなる場面でも直面する事実に強く立ち向かっていった妻、そんな人だったのかも知れない

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2012年8月14日 (火)

天に帰った親友夫妻の子どもさん

先日の暑い日。かつて親しく交わりを持ったご夫妻の息子さんが遠路訪ねてきた。彼に会ったのはいつだったかも定かではなかった。なにせ未だ小さな子供だったからだ。

彼は父を探してやってきた。もうすっかり大人になった「子ども」との充実した2時間半ほどを私はどうしても書きたくなった。
以下のところから入っていただけたらありがたい。
http://homepage3.nifty.com/bridge2/393.html

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2012年8月12日 (日)

礼拝司会者の祈り

 御在天の父なる神様。私たちを今朝もこうして教会に招いてくださりありがとうございます。自分からは来られない私たちであることを思うと、あなたの愛の大きさに心の奥からの感謝を申します。
 どうぞあなたによって設けられたこの賛美と交わりのときを喜んで過ごすことができますようにお導きください。
 神様、この暑い夏、私たちの体は衰えています。日々を送るのに疲れ果てています。社会ではこころが通わず一人ぼっちで悩みの中に置かれた人もいます。また、東日本大震災の苦しみの中に依然として毎日を過ごす方々も大勢います。
 あなたはどうしてこうして多くの苦しみ、困難をお与えになるのですか。なぜ、皆が安心のうちに過ごすことができるようしてくださらないのですか。
 神様、でも私たちは答えを求めません。なぜなら、あなたが全てをご存知であることを信じるからです。私たちはあなたに捕えられた一人一人であることを知っているからです。どうぞ、この信仰を強め、あなたを見上げるこころを増してください。
 ここに今朝集えない友がいることを覚えます。どうぞその友をその場で祝し、支えてください。あなたへの賛美と感謝を私たちと共に献げることをなさしめてください。
 御言葉を取り次ぐ先生を導き、あなたの愛のメッセージを豊かに語らせてください。
 これらの言い尽くしません祈りと感謝、願いを贖い主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。アーメン

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2012年8月10日 (金)

生きる支え

昨日は耳鼻科に行った。相変わらず耳が不調だし、鼻周辺がうっとうしくて仕方がないのだ。
診察を終え会計を待っていると知人夫婦と出会った。医師と今後の治療について相談するために来たという。
この知人はガンを持っており、治療中の身である。とは言え、普段の生活は軽い畑仕事をしたり、豊かな人間関係を楽しんだりしているように見える。
だが、きっと口にはしない心配事をいっぱい抱えていることだろう。
 
今朝は耳の具合も顔面のうっとうしさも軽減している気がする。相変わらず腕の痛みはあるし、オシッコの悩みはあるが今日もやることはやっていかねばならない。
先程ATMで当面のお金を引き出し、パンツの洗濯をし、尿器を片付けたところだ。
これから新聞を読み、エッセイの続きを書くことにしよう。
こうしてなすべきことがあることが私を生かす支えになっている。

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2012年8月 7日 (火)

時移る

今朝は泌尿器科の診察で病院行き。手術を受けることを決断して行ったのだが、もう少し薬で様子を見ようとのこと。
それに家族同伴でないと手術予約はできないそうだ。今時老人といえども自立している人が多いのだから家族の同意でもなかろうと思うが規則には逆らえない。
それにしても最近は体のあちこちが変だ。耳は聞こえにくいし、声は枯れている。テレビを見る目もどこかはっきりしない。
朝、家の前をプールに行く子どもたちが元気な声を出して通って行くのを見ると、私にもあの時代はあったし、それからだいぶ時が移ったのだと実感するのだった。
空には秋が来ている。
 空澄んで吾は地上を這いまわる
 立秋や通院の朝仰ぐ空 

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2012年8月 2日 (木)

ヨブの叫び

7:3 そうだ/わたしの嗣業はむなしく過ぎる月日。労苦の夜々が定められた報酬。7:4 横たわればいつ起き上がれるのかと思い/夜の長さに倦み/いらだって夜明けを待つ。:13 「床に入れば慰めもあろう/横たわれば嘆きも治まる」と思ったが7:14 あなたは夢をもってわたしをおののかせ/幻をもって脅かされる。

昨夜も朝方腰の痛みで目が覚めた。寝返りができないと腰に痛みがやってくるらしいのだ。そんな時、私は体を折り曲げて、頭を膝につけるようにしてじっと時間を過ごす。
普段ならこれを一人暗闇の中でしなければならないのだが、今はオリンピックの真最中。テレビをつけて音声だけを聞いている。
ヨブの叫びが体で受け止められる心境である。
ヨブ記の理解で一般的に言われることは、この苦しみにも神の御心が根底にあり、目的があるということだ。
それを私も受け入れる。だが、ヨブの叫びが近くに聞こえるのも事実である。

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