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2012年7月22日 (日)

信仰と苦しみ

1:12 そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。(テモテの手紙Ⅱから)
 
この手紙ではパウロは囚われの身であることになっている。自由を奪われ、信仰の友は去っていった。
しかし、その苦しみの身も実は主の御手の中に、主のご計画の元にあることを著者は信じているのである。神の大きな愛の中での苦しみであることを確信しているのだ。
聖書の中には苦しみの系譜があると牧師はいう。その最たるものがヨブ記とのこと。ヨブは自分の信仰を誇るが、その信仰を彼に与えたのは誰か。主ではなかったのか。自らは神を知ることができない者に信仰を与え、その信仰を苦しみを通して鍛える方が神なのだ。
 
今日、明日の苦しみ、私のあなたの苦しみ、それもみな主の私たちへの賜物である。大きな主の御手の中にあることを覚えて主の証しの道を進みたい。

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