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2012年6月

2012年6月28日 (木)

体のリズム

現役のころ体から届くカウンセリングワークショップに参加していた。「体から届く」では意味がわかりにくいだろうが、体がいいものを私に届けてくれることには違いないのだ。
このワークショップを思い出したのは実は今朝NHKTVで日本のあるピアニストがイギリスに旅をして地元の子供との音楽を通した交わりをしている様子を見たからである。
ワークショップを経験したことのないこの音楽家は真剣に交わろうとしていたがどこかぎこちなかった。
彼女は現地で世話をしてくれる人の計らいで障害を持っている人のダンスのワークショップにも参加した。車椅子に乗った少女たちが音楽に感じるままに身を任せて踊る姿は感動的だった。だが、そこでもピアノ伴奏を頼まれた彼女の顔には喜びが感じられなかった。もっと自分も楽しめばいいのに、と見ていて歯がゆかった。
画面の少女たちは電動車椅子を自由に動かし、また自分の足で踊っている者は車椅子の人と交わりながらリズムに身を任せていた。私もその輪に入りたくなって、TVの前で動き始めた。
人の体は動きたいものなのだ。自然の中にあるリズム、体本来のリズム、触れ合いの中のリズム、それに体が応える、それが動き、踊りだろう。
体があることを喜ぶ体験をした朝だった。

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2012年6月26日 (火)

車の思い出(3)

二台目の車、スバル360の思い出。
この車は名車と言われる程に名高い車である。カブト虫との愛称を持っていて、未だに街の中に骨董品扱いにされて展示してあるのを見かける。
 
私は足の操作ができないので免許証には「ハンドルに旋回装置を付け、アクセル、ブレーキは手で操作する車に限る」という限定がついているのだが、オートマチック車が少なかった昔はクラッチがない車という文句も限定条件に含まれていたかもしれない。
ある日私はこの車で板橋の我が家から横浜国立大学まで講義に行ったのだった。朝大学に向かう時から、環状七号線の凸凹にのると速度が落るのを感じていたのだがそれでも第三京浜道路を利用して横浜に行き、無事講義を終え帰りの路に付いたのである。
日が落ちかかった頃、環状八号線、通称オリンピック道路を我が家に向かっている時、あれはなんという町名だったろうか、今思い出せないが、そこまで来た時、突然エンジンは回転しているのに車が停止してしまったのだった。慌てて道路脇に車を止め、近くのガソリンスタンドに救助を求めた。だが、ここでは修理は無理だった。
直ぐにJAFが来てくれて近くのスバル自動車営業所まで牽引してもらうことになった。故障の原因はスバルには変速機の上に小さなノブが付いているのだが、そのノブを押すとクラッチが切れ変速が可能になるような構造になっている。ところがノブの中のスプリングが折れてクラッチが切れたままの状態になってしまったのである。
エンジンをかけないで引かれて行く車の静かだったこと!
幸いにもしばらくして修理は終わった。
その夜遅くなって私は無事常盤台の宿舎に無事帰り着いたのだった。

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2012年6月22日 (金)

捨てられない葉書

まだ郵便番号が三桁だった時代の葉書が残っている。多くのものは捨てたのにこの葉書はそれができないのだった。
娘さんが二人まだ小学校と中学校に行っていたその母親、教会で親しく交わりを持っていたSさんが30年も昔に送ってくれたものである。
「本当に長い長いご無沙汰の時が過ぎて行き、その間私も思いもかけず病を得ました。乳がんから骨に転移し、またその場所が股関節なものですからなかなか大変です。あなたの病についてはその内容はほとんどなにも知ることは出来ませんが、ともかく、自分自身のこととして、しっかり受け止める以外にありません。でも絶対的に言える言葉があります。
 メリークリスマス
今Sさんは妻と親しく天国でおしゃべりをしているかもしれない。

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2012年6月19日 (火)

一行詩

送られてきた会誌から友の詩を三編

弟よ 俺が着くまで待っててくれよ・・・脳が大噴火する
弟よ お前は俺の一生を決定したのだぞ もういい
弟よ お前は人間の貸借対照表を証明してくれた

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2012年6月18日 (月)

弟さんを送った友への手紙

親友のK・S氏から手紙が届いた。弟さんを天に送った悲しみと長年心にかけた思いやりに満ちた手紙だった。
直ぐに返事を書いたのだが、ここに紹介するのは遠慮しよう。よろしかったら下記にアクセスしてほしい。http://homepage3.nifty.com/bridge2/392.html

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2012年6月15日 (金)

ライアンのこと

ライアンは今何もなかったようにおとなしく寝そべっている。覗くのが怖かったが一安心である。
実は昨日、悲鳴にも似た鳴き声をあげながら弱り果てていたのだ。息子がタオルを敷いて寝かせて出かけたのだったがそのタオルから下りて、書斎のしたの土の上で鳴いていた。
私は一人でそれを聞くのに耐えられず息子にメールしてライアンの様子を伝えた。すると以前に往診してもらったことのある動物病院の名を知らせてきた。
一っきり落ち着いていたライアンが午後になってまた弱々しい鳴き声を止まずに吐き続けるので何とかして欲しくて病院に電話してしまった。
でも何回か発信したが留守らしくつながらなかった。
犬はなにも語ってくれない。どうしたのか、どこが痛いのかわからない。痛みは妻の病気でイヤというほど知っている。
10数年一緒に過ごしてきたライアン。もう妻のところへ行ってしまうのだろうか、そうも思った。
今日は静かである。本当によかった。

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2012年6月14日 (木)

人の業の限界

ニュースによれば免疫力のない豚を造ることに成功したとのことだ。医学の発展に役立てようとの魂胆である。
人間が、自然界にありのままの姿でいる生きものにプラスして新しい姿の生きものを造る。これを科学の進歩と見るのがこの世的であるらしいが、そこには疑問を挟まざるを得ない。
クローン技術なるもののメカニズムは分からないが、本来的には生物は神の創造物であり、そこからはみ出して新たな形のものを造ることは人間の驕りであるように思える。
人間に利用されるだけの生物、こんかいは豚であるが、不運な運命の下にこの世に誕生したことに同情する。

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2012年6月11日 (月)

茣蓙をベッドに

茣蓙をベッドに敷いた。なかなかいい。これで腕への負担がかなり軽くなりそうだ。
 
足の浮腫み、腕の筋力の衰えでベッドで体を動かすことが辛くなった。シーツの摩擦でより多くの力を必要とするのである。
ふと思いついて昨日茣蓙を買ってきてもらった。イグサの茣蓙ではなく竹が混じっているような硬さのある茣蓙である。夏なのでこれは障害を持つ人だけでなく、他の人が使っても爽やかさを感じられるかもしれないと思いながら寝についた。
いつものことで夜中、オシッコに起きたのだが、布団を退けるにも体を動かすにも楽にすることができたのだった。

電動ベッドの頭の方をアップさせると枕がずり落ちてくるのを我慢すると現在うまいものを買ったと満足している。

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2012年6月 7日 (木)

ボタン

買ってもらったYシャツを使い続けているからどれもみな古ぼけてしまった。
身なりには余り気を遣わない質だ。それでもボタンが取れてしまってはほっとくわけにはいかない。先日やっと針に糸を通してボタン付けをやった。やればうまくいく自信はある。子供の頃外遊びができなかったのでいつも姉たちのすることを見ていたし、時にはボタンの穴かがりまで手伝ったこもあるのだ。
今朝は洗濯してもらっても汚れが落ちない古いYシャツを捨てることにした。
ゴミ箱に入れる前、ふとボタンを切り取っておこうと思いついた。先日の作業の時ボタンをしばし探したからである。
ボタンを取っておく、こんなことをする自分になったことにいささか驚いている。

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2012年6月 6日 (水)

友よ、ありがとう。

友からメールがあった。励ましの、うれしいメールである。

「痛みを知る主」「旅の決意」読ませていただきました。

痛みは人間にとって最高の苦しみだと思っています。

わたしはリウマチと40年間、それ以上かな?

手、指、体が変形する痛みです。そよ風にも吹かないでくれと祈りました。人が動いただけでも痛い。痛みほどつらいものはありません。

副作用の強いモルヒネを必要とする痛みもあります。

わたしは痛みがなければ天国だと考えて寝ていました。

「それまでして、出かけるの」のといろいろな人から以前には何回も言われました。

わたしたちは、「それまでしても!」出かけなければ出かけられないのです。

これが障がいのあるものの自然の姿です。

ありのままの旅をしましょう。

痛みが無くなるように!無事に広島に行って帰れるように

祈っています。

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2012年6月 5日 (火)

痛みを知る主

肩が痛くて仕方がない。重い足をベッド上で引っ張って動かし、体の向きを変えようとすると肩の腱が切れるのではないかと怖くなるほどである。
昨夜は痛み止めを飲んで寝たのだが余り効果は無いようだった。
この痛みに耐える生活はわたし固有のものだろうかとふと考えた時に、時々テレビなどで紹介される日常常に痛みにさらされている人のあることに気付く。わたしは肩に力を入れる時に痛みを知るのだが、慢性的にこの苦痛を抱えている人こそより苦しいに違いないのだ。
目をさらに上に向けるとそこには信仰者に与えられている恵みがある。最も痛みを知る人がいることへの気づきである。イエスが既に痛みを知っておられたのだ。しかもその痛みは他人のために負う痛みであった。
救い主と信じている方がこうして痛みを引き受けておられる、その方と共に日々を過ごすことをわたしは幸いとしなければならないだろう。

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2012年6月 4日 (月)

旅の決意

来月初めには広島・三原まで行かねばならない。私が会長をしている全国キリスト教障害者団体協議会の総会のためである。年に一度加盟団体が集合し、一年の間神様に仕えて活動した業を報告しあい、新たに神の恵みを頂いてそれぞれが活かされる、その総会があるのだ。
今の私は毎日その日の生活を終えると体の所在に困るほど疲れを覚える。寝るのも仕事の一つと言える。決して寛ぎの時とは思えない。
広島まで6時間、その旅に耐えるよう今月は体を準備しなければならない。いや、役割を果たせるよう神様は準備してくださると信じている。
先程は新幹線駅からキップが取れましたとの電話があった。

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