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2012年4月 5日 (木)

入学式、教師が気の毒

入学式の季節がやってきた。子供たちの新たな旅立ちの日。本来ならば教師も子供も胸を期待にふくらませて迎えるであろう、この日。
だが、教師への同情を禁じ得ない昨今であることを残念に思う。
大阪では式場で教師が管理者に見張られる事態が起きている。君が代を歌っているかどうか、唇の動きまでチェックされるのである。
もしも唇が動いてないと管理者に呼ばれ、事実確認をされ、処罰の対象になってしまうという。
この図式の構造は簡単である。式で君が代を歌うことが法律にあり、公務員である教師は法律に当然従うべきである。これに反したら処罰することを決めた市議会は選挙によって信任を受けてるから処罰には正当性がある。
こうして教育の世界が一本の法律という道に支配されるようになってしまったのだ。
教育は自由の中で成り立つ。教師の自由、生徒の自由、関係の自由、その中で信頼と共存という関係が育って学びが成立する。
教育の自由を訴える人が声を上げることが求められている。

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